- 456 :『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:03:56 ID:Zs8Krqck0
- 『星灯(中)』
「歩道橋を封じたあの術者は狗神使い。
呪殺を専門の生業とする術者で、古くは●太夫と呼ばれた。」
寝入った藍をそっとベビーベッドに寝かせた。Sさんの左隣、ソファに座る。
「犬を酷く苦しめて殺し、切り落としたその首を埋めて呪詛を行うという、あの、狗神ですか?」
「狗神使いが忌み嫌われるのは当然、だから趣味の悪い伝承が生まれたのも理解できる。
でも実際には、そんな術を使う術者はいない。狗神使いに限らず、ね。
そんな事して自分が無事に済む程の術者なら、そんな悪趣味な術を使う必要は無いもの。
大抵の場合、狗神使いは止むを得ない事情で狗神を体内に封じた術者。
それは禁呪の中でも、特に過酷な宿命を術者に背負わせる、悲しい術。」
Sさんは一旦言葉を切り、ホットワインを一口飲んだ。小さな溜息。
「人々に害をなす狗神、狗とは言うけれど犬とは限らない。
もとは人間への憎しみや恨みを抱いて死んだ動物の魂が悪霊に変化したもの。
その力が強過ぎて滅する事が出来ない時、狗神を術者の体内に封じることがある。
そうすれば狗神をコントロールして、犠牲を最小限に抑える事が出来るから。」
「狗神を封じた後なのに、犠牲が必要なんですか?」
「狗神の怒りと憎しみを鎮めるためには、贄を捧げる必要がある。
つまり術者が定期的に人を殺す以外に、狗神の封を維持する方法は無い。
ただ、封じた狗神への通路を開けば術者は狗神の力を利用できる。
だから、力の強さという点で言えば、狗神使いは一族でも最高位の術者とほぼ同格の筈。」
一族で最高位の術者と言う事は、例えば桃花の方様のような?
「それほどの力を持っていながら、どうして狗神を滅し...あ。」
「そう、狗神こそが術者の力の源、だから術者自身が体内の狗神を直接滅する方法は無い。」 - 457 :『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:05:40 ID:Zs8Krqck0
- その身に狗神を封じ続けるために、定期的に人を殺し贄とする。
荒れ狂う祟りが無差別に奪う命の数よりも、贄となる命の数が有意に少ないのであれば、
その犠牲は、術者の呪殺という行為は正当化されるだろうか。
もし、俺がその立場だとしたら...しかも術者が自ら命を絶つことは許されない。
途中で止めれば、それまでの犠牲は無意味となり、さらに狗神を野に放つ結果となるだろう。
何よりも『皆を守るために次は誰を殺すか』という判断、とても俺には出来ない。
と言うより、それは普通の人間に許される判断では無い。
唯一、己の身を檻にして狗神の祟りを抑えている術者のみに許される、判断。
狗神使いが背負うという宿命。それがどれ程過酷なものなのか、朧気に見えてきた。
「だから狗神使いは呪殺を生業とするんですね。
せめて普通の人では無く、矯正の見込みの無い罪人や外法に手を染めた術者を。
その判断をする時の精神状態は、僕にはとても想像がつきませんが。」
「呪殺の報酬は高額だから、術者の生活基盤は保証されるけれど、
当然禁呪のペナルティーは術者の身体を蝕んでいく。
狗神使いの寿命は長くないし、一番の問題は術者の死とともに起こる狗神の移動。
術者が行き先を指定しない限り、それは術者の最も近い血縁に移動する。」 - 458 :『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:07:41 ID:Zs8Krqck0
- 俺の想像を超える過酷な宿命。本人だけで無く、子孫にもそれが伝わるなんて。
しかし滅することが出来ないのだから、封じ続ける以外にその祟りを抑える方法は無い。
「ある家系には8代かけて狗神の憎しみを薄め、ついにその祟りを消したという記録も有る。
でも、今の時代に狗神を引き受けようなんて奇特な術者がいる訳が無い。
無理にでも血縁に継がせるか、血縁を避けて赤の他人に押しつけるか。
ね、R君。あなたがその術者の立場ならどうする?無理矢理自分の子供に継がせる?
それとも自分の子供を守るために、赤の他人の術者を行き先に指定する?」
自分の子に過酷な宿命を負わせるのは忍びない。
しかし、だからといって赤の他人に押しつけるのは人としてどうだろう。
「分かりません。どちらも辛すぎます。でも、どうしてもというならむしろ僕は。」
「そう、きっとあの術者も私たちと同じ事を考えた。歩道橋の臭い、憶えてる?
あれは腐臭を隠すために焚き込めた香。身体の崩壊が始まってるのだから、もう時間が無い。
だから私たちを探すために罠を掛けた。それが、あの結界。」
「僕たちを探してるって...。」
「そう、あの術者の狙いは私たち。あの交差点を封じて人ならぬ者達の気が滞れば、
やがてあの一体で障りが出る。そうなればこの辺りを活動の場とする術者が黙っていない。
そう、考えたのね。つまり私たちを呼び出すのがあの術者の狙い。」
暫く忘れていた何か。そう、まるで古傷が疼くように、心の奥が痛む。 - 459 :『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:08:34 ID:Zs8Krqck0
- 「僕たちを呼び出して、どうするつもりなんでしょうね?」
「このお屋敷に移り住んで以来関わった仕事や事件は全て、
後の障りが出ないように処理してきた。完璧だったわ、ただ一つの例外を除いては。」
ああ、そうか。俺は病院のロビーに佇んでいた少女の、寂しげな横顔を思い出した。
少女の名は○村佳奈子、そして少女を養女にした女性の名は○村美枝子。
縁あって俺は美枝子さんに出会い、Sさんの助けを借りて彼女を苦しめていた術を解いた。
その件で最初に朧気な危惧を抱いたのは俺自身。
佳奈子ちゃんには実の母親の気配が全く感じられなかった。
離婚は九年前、実の母親の行方は分からず音信不通。
しかし、母親の子に対する想いが微塵も無く消滅するなどと言う事があるだろうか。
それを相談した時、Sさんは言葉を濁したが、その表情の翳りは後の憂いを示唆していた。
去年美枝子さんはSさんの従兄弟と結婚し、佳奈子ちゃんは夫婦の養子になっている。
美枝子さんが嫁いだのは遠い土地、そしてSさんは美枝子さんの御両親にも転居を強く勧めた。
それは全てこの日のためだったのだ。実の母親である術者が、この街に戻ってきた時、
佳奈子ちゃんの行き先を辿る手がかりが残っていないように。 - 460 :『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:13:33 ID:Zs8Krqck0
- その日が来て欲しくない、その想いが俺の記憶を無意識の底に沈めていたのだろう。
しかしその日は来た。あの女性は佳奈子ちゃんの実の母親。10年ぶりにこの街に戻り、
娘の居場所を知るために、その痕跡を消した術者を探している。
「僕たちを呼び出して、佳奈子ちゃんの行方を知るつもりなんですね?」
「そう。自分の身を犠牲にして狗神を封じている術者からの呼び出し。
それを無視するのは一族の作法に反する。出来れば堂々と応じて始末を付けたい。」
「始末を付けるって...狗神はとても僕の手に負える相手じゃないし、Sさんだって。」
Sさんは俯いて暫く黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「もしあなたが行ってくれるなら、策はあるわ。
あの結界の中では此方の力がかなり削がれるけれど、あの短剣は結界の影響を受けない。
それにあなたの言葉なら、多分結界の中でも術者の心に届く。だから。」
相手を疑って立てる作戦よりも、信じて立てる作戦の方が遙かに難しい。
本当にあの術者は、俺と同じ答えを選択したのだろうか?
「あの術者が、僕たちとは別の答えを選択しているという可能性はありませんか?」
「誰か赤の他人に押しつけるつもりなら、ここまでして娘を探す必要はない。
娘に継がせるとしても、今からじゃ狗神を制御する術を教える時間が無い。
それなら残る答えは1つだけ、私たちと同じ。ただし、あなたの判断や感覚が最優先。
少しでも心が揺らげば、最悪の事態を招くから。」
「でも、このまま放置してその術者が死んだら、狗神は佳奈子ちゃんに移動するんですよね?」
「もし、術者が他の行き先を指定していなければ、当然そうなる。」
いや、それは駄目だ。やっと幸せを手に入れたばかりだというのに、更なる悲しみなんて。 - 461 :『星灯(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/11(木) 21:15:21 ID:Zs8Krqck0
- 「美枝子さんに出会ったのが彼女との縁なら、今回の件は佳奈子ちゃんとの縁でしょう。
僕が行きます。どうすれば良いのか、教えて下さい。必ず、上手くやりますから。」
「簡単に言うと、あの結界の中で狗神を焼き尽くすの。もちろんあの短剣を使って。
もし失敗しても、あの剣でダメージを受けた状態なら、私が十分対応できる。」
「でも、術者が黙って僕たちの思惑通りになるでしょうか?」
「あなたの真の役目はそれ。狗神を滅することが私たちとあの術者の共通の願い。
狗神を滅し佳奈子ちゃんを助けるには、それが一番良い方法だと、説得して欲しいの。
多分『言の葉』の適性を持つ術者でなければ、この役目は担えない。」
「分かりました。やはりこれは、僕の仕事です。僕に、やらせて下さい。」
Sさんは俺の唇にキスをした。熱く、長いキス。
「きっと、そう言ってくれると思ってたわ。明日の朝から早速準備を進める。
そして明日の深夜、2時過ぎには始末をつける。準備は全て午前中で済ませて置くから。」
「そんな時間に相手が現れるんですか?一体どうやって?」
「相手は定期的に『罠』の状態を確認してるはず。だから歩道橋にこれを貼るの。」
SさんがラミネートしたA3の紙を数枚、テーブルの上に置いた。
『本日深夜歩道橋の大清掃を行います。午前2時〜4時、横断歩道をご利用下さい。担当者』
「さあ、あとは明日午後にでも打ち合わせすれば十分。
もうLの部屋へ戻って。Lも当然異変に気付いてる。不安は身体に毒だから、ね。」『星灯(中)』 了