- 35 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:03:43 ID:ttaMmO2o0
- 次の日も、朝から結構な勢いの雨が降り続いていた。
ただ、土曜日なので姫の大学は休み。皆で食後のコーヒーを飲んでいる。
姫はコーヒーを飲み終わると翠を抱いていそいそとリビングを出て行った。
俺とSさんが出掛けるので、今日は一日翠の世話を任されるから姫は上機嫌だ。
姫がリビングを出て行った後、Sさんは棚のファイルから一枚の紙を取り出した。
「R君、これ、読んでみて。」
新聞の記事をコピーしたものだ。余白に4月28日(月)と書き込みがある。
ゴールデンウィーク前半の日曜日、女の子が一人行方不明になったことを伝える記事。
川沿いのキャンプ場で家族と一緒にバーべーキューをしていたのだが、
両親がちょっと眼を離した隙にいなくなったという。川で遊んでいる姿を見た人がいて、
深みにはまったのではないかと捜索が行われたが手がかりは無かったらしい。
俺もその記事を憶えていた。皆でAさんの温泉旅館に出掛ける前のことだった。
あれから半月以上経つが続報は無い。おそらく今も女の子は行方不明のままなのだろう。
「その子の遺体が見つかったんですって。捜査上の理由で公表されていないけど。」
「やっぱり水死、ですか?」
「違う。絞殺されたの。つまり事故ではなく殺人。 - 36 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:07:42 ID:ttaMmO2o0
- 「遺体が見つかったのはキャンプ場の裏手の山、歩いて10分程入った山道の脇。
そこに埋められていた遺体を警察が発見した。5月12日、月曜日ね。
それで一昨日、『チーム榊』のボス、榊さんから依頼があった。」
「チーム榊って...警察なんですか?」
「そう、ボスの榊さんが凄い人でね。昇進の話も沢山あったみたいだけど、
全部断って現場で第一線に立ち続けてる。
榊さんを慕って優秀な部下が集まってくるからチーム榊って呼ばれてるの。
迷宮入りしそうな難しい事件ばかりを担当してるのに
検挙率は90%以上、本庁からも注目されてるみたい。」
「もしかして後の10%が...」
「ご名答。たまたま成立してしまった完全犯罪、それから、人外の影響を受けている事件。
そんな事件に関する依頼があれば出来るだけ協力してる。捜査方針についての助言をしたり、
事件解決まで操作に協力したり。今回は事件解決まで協力して欲しいという依頼。」
たまたま成立した完全犯罪の証拠探しで俺の適性を調べることはないだろう。
「先月の事件には人外の、その、霊的な影響を受けているんですか?」
「詳しいことは榊さんから聞きましょう。そろそろ時間だわ。出発は10分後ね。」 - 37 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:12:41 ID:ttaMmO2o0
- お屋敷を出てから約一時間、Sさんは市街地を挟んでお屋敷とは丁度反対側にあたる
郊外の建物の駐車場に車を停めた。駐車場入り口の門柱に小さな桜の紋章がある以外
警察の建物には見えない小洒落た感じで2階建ての建物。
Sさんは建物正面のドアを抜け、廊下を歩いて突き当たりの部屋のドアをノックした。
「どうぞ、待ってたよ。」
Sさんはドアを開けて部屋の中に入った。俺もSさんに続く。
大きな机が幾つか並んでいるが、一番奥の机以外に人の姿はない。
一番奥の机から男性が立ち上がり、俺たちに近づいてきた。これが、榊さん?
背は俺より少し低いが肩幅の広い、がっちりした体格だ。
「榊さん、お久しぶりです。」 Sさんが軽く頭を下げた。俺もSさんに続いて礼をする。
男性は『おや?』という顔で俺を見た。
「久しぶり、Sちゃん。今日のアシスタントはいつものお嬢ちゃんじゃないのかい?あっ!」
男性は俺に歩み寄り、僅か30cm程の距離からしげしげと俺を観察した。
ち、近い。近すぎる。思わず半歩後ずさる。 - 38 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:15:12 ID:ttaMmO2o0
- 「うーむ。Sちゃんはウチの息子の嫁にと思っていたが...先を越されたか。」
いきなり大きな両手で右手を握られた。
「榊健太郎。Sちゃんにはかれこれ10年近く世話になってる。以後宜しく。」
「Rです。宜しくお願いします。」 「うん、良い面構えだ。」
榊さんはもう一度、ギュッと力を込めて俺の手を握ってから踵を返した。
「後はそっちで話そう。資料を取って来る。」
万事心得ているのだろう、Sさんは応接セットのソファに腰掛けた。俺も隣に座る。
Sさんが俺の左耳に囁く。 「榊さんには息子はいないの。だから気にしないで、ね。」
「あ、はい。大丈夫です。」
なら息子って榊さんの部下の事じゃないかと思ったが、Sさんの言うとおり気にしない事にした。
しばらくして榊さんが大きな封筒が幾つか入ったダンボール箱を持って戻ってきた。
その箱をテーブルに置いて俺たちの向かいに座る。
「さて、それじゃ始めようか。」 - 39 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:18:05 ID:ttaMmO2o0
- 「最初の事件は一昨年の10月だ。隣の△県で6歳の女の子が殺された。」
最初の事件?先月の事件以外にも事件が起きているということか。
「目撃者も遺留品もほとんど無くてな。迷宮入り間違いないってことでウチに回ってきた訳だ。
その事件を引き受けたのが去年の4月。そして去年の5月、この町で2つ目の事件が起きた。
7歳の女の子が行方不明、現在も見つかっていない。親族の意向で公にされなかったから
この事件を知っているのはごく限られた人間だけ。」
「2つの事件に関連があるんですか?」
俺はメモを取りながら2人の話を一生懸命に聞いていた。
「いや、なんとなく関連があるような気がしただけなんだが...
とりあえず2つの事件は同一犯による連続殺人として捜査を進めた。
そして容疑者を絞り込んでいるうちに起きたのが先月の事件だ。」
「最初は川の捜索をしたんですよね。」
「ああ、一応はな。でも多分水死じゃないと思ってた。これは3つめの事件だと。
とりあえずマスコミには水死の線が強いって情報を流しておいて捜査を進めたよ。
それで健脚自慢の部下を一人だけ、キャンプ場辺りの捜索にあたらせた。
そいつは警察犬を連れてキャンプ場の裏山を虱潰しに歩いたそうだ。
あそこは山道が整備されててトレッキングの客も多い所だから
物々しい捜索をすれば犯人に感付かれるかもしれんからね。 - 40 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:19:27 ID:ttaMmO2o0
- そして捜索を始めて2週間目、女の子の遺体を発見した。
遺体は山道から少し林の中に入ったところに埋められてたよ。
埋められた穴が浅かったから警察犬が嗅ぎ付けた。だからおそらく単独犯。
そして、その遺体と最初の被害者の遺体には共通点があった。」
榊さんは一旦言葉を切り、ダンボール箱から封筒をひとつ取り出した。
「2人とも、かなり強い力で首を絞められて喉が完全に潰れてた。
その状態から見て犯人は左利きだ。検死の写真を見る必要はあるかな?」
「いいえ。それより、それだけの情報があればチーム榊には十分ですよね。」
「うーん、先月の事件の前に容疑者を28人に絞り込んでいた。この町にいる左利きの男、
そして何らかの形で△県との関わりがある男。この事件から得られる手がかりで
解決も近いと思っていたら、いきなり始まっちゃった訳だ。本当に参ったよ。」
榊さんはダンボール箱の中から別の封筒を取り、その中から2枚の写真を取り出した。 - 41 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:20:40 ID:ttaMmO2o0
- 「この写真を見てくれ。」 俺たちに向けてテーブルに写真を並べる。
一枚目の写真にはグレーのジーンズに黄色っぽいジャケット、長髪の男の後ろ姿。
二枚目の写真は同じ服の男を正面から撮ったものだが、たまたま通りかかった人のものか
左手らしき肌色のボケた影が写りこんで男の顔は見えなかった。
Sさんは二枚目の写真を手に取った。数秒間眺めてからその写真を俺に手渡す。
「R君、この写真どう思う?」
特に不可解な構図ではない。隠し撮りか、遠くから望遠レンズで撮ったか、いずれにしても
男に気付かれないように撮ったのだろう。たまたま通行人の手が写り込んでも不思議は無い。
しかし、男の顔にかかる手のような影に、俺は不吉なものを感じた。首筋に鳥肌が立つ。
「この、手みたいな影、凄くイヤな感じがします。」
「その通り、これは通行人の手なんかじゃない。
こんなにハッキリ写るのは珍しいけど、これは一種の心霊写真だわ。
榊さん、この男の顔はどうしても撮れないってことですね。」
「そうだ。部下が撮った写真は9枚あるが、まともなのは後ろ姿の2枚だけ。
正面や横から撮ったものは全部同じような影が写りこんで男の顔を隠してる。」
Sさんの言った『人外』という言葉を思い出した。こんなことができるのは一体? - 42 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:23:42 ID:ttaMmO2o0
- 「容疑者の内、こんな事が起きたのはこの男だけだ。当然この男を一番にマークした。
〇田盛司、32歳。前の職場は△県、最初の事件が起きた街。
そしてこの男は去年の4月、この街の営業所に転勤になってる。まあ、ドンピシャだな。
こいつが犯人。尻尾を掴むのも近い、そう思って安心したよ。そしたら。」
榊さんは両手でごしごしと自分の顔をこすり、ひとつ深呼吸をした。
「そしたら、マークにあたらせていた部下が入院した。無断欠勤したんで様子を見に行ったら
酷く錯乱してて、『女の子の遺体が』とか『鬼』とか言うんだが全く要領を得ない。
今は薬で眠らせてるが、元に戻るかどうかは分からないと医者は言ってる。
優秀な男だったんでウチとしては大きな痛手だし、なによりご両親に申し訳なくてな。」
「令状を取るのに必要な証拠。それと解決までの捜査協力、それで良いですか?」
「是非頼むよ。最初の被害者の家族が事件に懸賞金をかけてるから
解決すれば規定の報酬も用意できる。」
「分かりました。正式に依頼を受けます。まず、写真の用意を。」
「了解。もう用意してある。」 榊さんはダンボール箱の中から小さめの封筒を取り出した。 - 43 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:27:09 ID:ttaMmO2o0
- 「いつもと同じ〇×の印画紙。取り敢えず10枚用意した。」
榊さんは緑色の封筒の中から銀色の薄い包みの束を取り出してSさんに手渡した。
「それと、これ。」 もう一度ダンボール箱に手を入れる。
テーブルの上に並べられたのは真空パックされているらしい衣服だ。パックは3つ。
うち2つは布地がかなり汚れていた。ということはおそらく。
「この2つは被害者の遺体が発見された時に着ていたもの。
こっちは行方不明になっている女の子がお気に入りだったTシャツを借りてきた。」
「早速始めます。部屋を暗くして下さい。」
俺と榊さんは手分けして部屋のカーテンを閉めた。厚手の遮光カーテンのようだ。
蛍光灯を消すと部屋の中はかなり暗い。灯りは榊さんの机の上の小さなスタンドが1つだけ。
Sさんは衣服の入ったパックをじっと見つめている。
やがて眼を閉じ、パックの上に左手をかざした。Sさんの集中力が高まるのが分かる。
しばらくするとSさんは眼を開いて首を振った。
「おかしい。何も見えない。少なくとも先月の事件については辿れる筈なのに。」
「あの写真と同じように、何かが邪魔をしてるって事かい?」
「いいえ、違います。でも、これは...。」 - 44 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:28:41 ID:ttaMmO2o0
- 暫くしてSさんは2つのパックを手に取った。両方とも被害者が着ていたものだ。
「この2つに、同じ女の子の気配を感じます。被害者たちとは別の女の子の気配。」
4人目の女の子?2つのパックにその女の子の気配?一体、どういうことだ?
Sさんは2つのパックを胸にそっと抱きしめた。
成る程、俺は衣服が真空パックになっている理由を理解した。
パックしていなければ重要な証拠品をこんな風に抱きしめたりは出来ないだろう。
それに強い異臭がしたりすればSさんの集中力が削がれるかもしれない。
突然、Sさんの表情が険しくなった。パックをテーブルに戻す。
そして銀色の包み、印画紙を一枚手に取った。印画紙を両掌で挟み、目を閉じる。
暫くして首を振り、眼を開けて印画紙をテーブルの左端に置く。
もう一枚の印画紙を手に取り、眼を閉じる。Sさんの集中力がどんどん高まっていく。
「力を貸して。お願い。」 Sさんは小さく呟いて手に力を込めた。
眼を開けて印画紙をさっきの印画紙の隣に並べる。
Sさんはもう一度同じことを繰り返したあと、印画紙を2枚目の印画紙の上に重ねた。
重ねた印画紙を榊さんに渡す。 「この2枚は多分使えると思います。」
「よし、早速現像させよう。」 榊さんは机に戻って電話をかけた。
「水野、現像を頼む。大至急だ、すぐに着てくれ。え、いや印画紙だ。そう、2枚。」
榊さんがソファに戻る前に廊下を走る足音が聞こえ、すぐにノックの音がした。
榊さんがドアを開け印画紙を手渡す。「大至急だが、くれぐれも慎重に、な。」 「はい。」
そんなやりとりの後、足音は慌ただしく遠ざかっていった。 - 45 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:30:04 ID:ttaMmO2o0
- 「さてSちゃん、疲れたろう。いつものコーヒーを御馳走するよ。冷たいの、大丈夫?」
「はい、お願いします。」
「R君、君も冷たいコーヒーで良いかい?」
「是非お願いします。」 緊張していたせいか喉がカラカラになっていた。
「知り合いの喫茶店に頼んで届けて貰ってるんだ。本式の水出しコーヒー、旨いぞ。」
榊さんは部屋の隅の冷蔵庫からポットとグラスを取り出して大きなお盆に載せた。
「あ、俺が運びます。」 「そうか、じゃ、頼むよ。」
俺がお盆を受け取ると榊さんはテーブルの上の封筒を全部ダンボール箱の中に戻し、
ダンボール箱をソファの上、自分の脇に置いた。
片付いたテーブルの上にグラスとポットを並べる。
「コーヒーは私が注ぐ。こればっかりは他人に任せられん。」
榊さんはグラスを傾けてそっとコーヒーを注いだ。まずSさんの前に、次に俺の前。
そして最後に自分の前、たっぷりコーヒーが注がれたグラスが3つ並んだ。
「どうぞ、必要ならシロップもあるぞ。」
グラスは霜が付く程冷えている。氷が解けてコーヒーが薄まるのを防ぐ工夫だろう。
コーヒーはとても美味しかった。喉の奥から良い香りが鼻にすーっと抜けてくる。
「美味しい。」 「ホントに良い香りですね。」 「そうだろう、そうだろう。」
ニコニコと俺たちを見つめる榊さんは、ただの人の良いおじさんに見える。 - 46 :『卯の花腐し(中?@)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/27(土) 21:31:46 ID:ttaMmO2o0
- 俺がお代わりのコーヒーを半分ほど飲んだところで走る足音が聞こえた。
続いてノックの音。榊さんがドアを開けた。「榊さん、これ、見て下さい。もの凄いですよ!」
僅かな沈黙のあと、榊さんは興奮を押し殺すような声で言った。
「OK。水野、後で指示する。部屋で待機だ。」 「了解です。」
榊さんはドアを閉めてソファに戻り、2枚の写真をテーブルに並べた。
「久し振りに見たが、信じられん。しかも以前より、鮮明になってるような気がする。」
!! 俺は写真を見て息を呑んだ。 やはり、念写。しかもこれは...
一枚目の写真には女の子と手を繋いで歩く男が写っていた。顔もハッキリと見える。
二枚目の写真には車のドアを開け女の子を乗せようとする男。これも顔がハッキリ見える。
榊さんは段ボール箱の中の封筒を探り一枚の写真を取り出した。テーブルの上に置く。
「新聞にはわざと写真を載せなかったし、その後も情報は漏らしていない。
だから限られた人以外は顔を知らないはずだが、これは間違いなく先月の事件の被害者だ。」
確かに3枚の写真に写っている女の子は同一人物に見える。
榊さんは女の子と一緒に写っている男の胸を人差し指で押さえた。一枚目、そして二枚目。
「そして、この男は〇田だ。俺も部下と一緒にこいつの顔を見たから間違いない。
そしてSちゃんはどちらも知らないのにこの写真を撮った。つまりこの写真は、本物だ。
これがあれば間違いなく令状が下りる。」 - 50 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:27:59 ID:uKgUQbmo0
- 『これがあれば令状が下りる』のなら、今の時点でこの写真以外に
決定的な証拠が無いということだろう。それはド素人の俺にだって分かる理屈だ。
でも、念写した写真が証拠に使われるなんて聞いたこともない。
「あの、その写真が証拠になるんですか?」 俺は思わず口を挟んだ。
いくら『本物』でも、これが証拠とは...確かにSさんの念写は本物だろう。
でも、高位の術者ならデッチ上げも可能な筈だ。それを証拠にするのはちょっと。
「もちろん裁判では使わんよ。ただ偉い人達は頭が固いから方便も必要なんだ。
もし令状が下りれば、家宅捜索で絶対に証拠は見つかる。きっと、見つけてみせる。」
「捜索はいつ頃になりそうですか?平日の昼間は都合がつけられないんです。」
そうだ、姫が大学に行く日は翠を預けられない。
だから当然、俺とSさんが2人で出掛ける訳にはいかない。
榊さんは壁のカレンダーを見た。
「来週、金曜日の夜はどうだい?5月30日だ。
それまでには俺が必ずこの男の行動パターンを調べ上げてお膳立てをしておく。」 - 51 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:29:16 ID:uKgUQbmo0
- 「あの、杞憂かも知れませんが。」 また、俺は思わず口を挟んだ。
「今度は何だい?R君。」 榊さんが驚いたような顔で俺を見る。
Sさんは黙って微笑んだまま俺を見つめていた。
「榊さんがこの男のことを調べたら、その、今度は榊さんの身に何かが...」
「ああ、それは大丈夫だ。ちょっと訳ありでさ。」 榊さんが頭をかいた。
「榊さんの家族はかなり古い家柄でね。『護り』が強力だから影響されないの。」
「『護り』、ですか。」
そういえば榊さんはさっき『部下と一緒にこいつの顔を見た』と言った。
でも、榊さんは件の部下と違って錯乱しなかった。つまり、そういう事だ。
「俺の遠い先祖が精霊だか神様だかと契約をしたらしくてな。
相手の領域にすっぽり踏み込まなければ、大抵の事は弾いてくれてるみたいだ。
お陰で俺もこの歳まで怪我も病気もほとんどしたことがない。
それで今までこの仕事を無事に続けてこられたんだから。まあ、有り難い話だよな。」
しかし、あまり有り難そうな顔には見えなかった。 - 52 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:30:39 ID:uKgUQbmo0
- 『契約』ってことは、榊さん側も何か大きな見返りを捧げているのかも知れない。
でも、初対面でそこまで立ち入って聞くのは、いくら何でも失礼だろう。
「済みません。そういう事情とは知らなかったので、話の腰を折ってしまいました。」
「いやいや、心配して言ってくれたんだ。感謝するよ。」
Sさんがいつの間にか取り出した手帳を確認し、何かを書き込んでいる。
「30日の夜、それでお願いします。もし予定が変わったら連絡して下さい。」
「了解だ。詳しい時間も決まり次第連絡するよ。」
「今日のお仕事はここまで。じゃR君、私たちはこれで失礼しましょう。」
俺が立ち上がりかけるとSさんが声を掛けた。
「ちょっと待って。大事なことを忘れる所だった。」
俺がもう一度ソファに座ると、胸の内ポケットから白い紙と小さなハサミ、
そしてポチ袋のような小さい封筒を取り出した。
紙を蛇腹状に細かく折り、ハサミで複雑な形に切り込みを入れる。
そしてそっと息を吹きかけた後、それを封筒に入れて封をした。
「これを田島君の枕元に置いて上げて下さい。多分、2・3日で良くなります。
退院する時、これは忘れずに焼いて下さいね。」
榊さんの『息子』は田島という名字なのだと、それで分かった。 - 53 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:31:48 ID:uKgUQbmo0
- Sさんから封筒を受け取り、榊さんはそれを両手で押し戴いた。
「Sちゃん、ありがとう。恩に着るよ。」
「これはサービスですから。気にしないで下さい。R君、お待たせ。」
「はい。」 俺は立ち上がり、ドアに向かって一歩踏み出した。その時、
「Sちゃん!」
榊さんの叫び声に振り向くと、眼を閉じたSさんの体がぐらりと傾いた。慌てて抱き止める。
Sさんはすぐに眼を開けたが、その顔は蒼白い。駆け寄った榊さんも心配そうだ。
「大丈夫。ちょっと立ちくらみがしただけ。」 俺の肩に手を掛けて立ち上がる。
「でも、帰りの運転はお願いね。」 「任せて下さい。」
心配そうな榊さんを駐車場に残し、俺が車を出したのは11時20分過ぎだった。 - 54 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:32:41 ID:uKgUQbmo0
- 「本当に、大丈夫なんですか?」
まさかあの念写が禁呪ということはないだろうが。
「うん。久し振りだったし、かなり難しかったから少し消耗しちゃった。心配掛けてゴメンね。」
Sさんは右手の人差し指で俺の左頬を軽くつついた。
「ふふ、『質問がいっぱいあります』って顔してる。」
「そりゃ、あんな術を見せられたりあんな話を聞いたりして、質問がない方がおかしいですよ。」
「そうね。じゃあ3つだけ、どんな質問にも答えてあげる。」
「本当に、どんな質問にも正直に答えてくれるんですね?」
「珍しく今日は疑り深いわね。もちろん何でも正直に答えるし、
答えられない時は何で答えられないのかちゃんと説明する。それで良いでしょ。」
「本当に、本当に体は大丈夫なんですか?」
「...あ...っ」
突然、Sさんの両目から大粒の涙が溢れた。そのまま俯いて肩を震わせる。
雨粒のような滴がポタポタと落ちて、膝の上でぎゅっと握りしめた両手の甲を濡らしていく。
俺は驚いて路肩に車を停めた。
「どうしたんですか?僕何か悪いことを...御免なさい。」
Sさんは思い出したようにハンカチを取り出して涙を拭った。
「...馬鹿ね。さっきも、答えた、質問でしょ。
これで、質問が残り2つに、なっちゃったじゃないの。」
「でも、さっきは正直に答えてくれたって保証がなかったから。だから心配で、御免なさい。」
「謝らないで。ちょっとだけ、待って。」 俺の左肩に頭をもたせて眼を閉じる。
「いつまででも、待ちますよ。」 Sさんは2度、小さく頷いた。 - 55 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:33:55 ID:uKgUQbmo0
- 遠く前方に見える信号が3度目の赤に変わったところでSさんは眼を開けた。
「泣いたらお腹が空いた。ね、もし翠の世話で手一杯だったらLは食事作れないかも。
出前取りましょうよ、お寿司の。いつもの藤◇で。回復するには沢山食べないと。」
まあ、もし姫がお昼を作っていたとしても、それは夕食にアレンジすれば良いのだし。
何よりSさん自身が食べたいものを食べるのが一番だ。
携帯で出前の手配を済ませると、Sさんはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「じゃ、車出して。心配してくれて嬉しかったから、特別に質問は3つのままにしてあげる。」
「ありがとう御座います。じゃ、最初の質問です。」
「どうぞ、何なりと。」
「あの写真の手みたいな影なんですけど。あれは何かがあの男を護ってるってことですか?
例えばあの男の守護霊が、あ、でも守護霊が犯罪の片棒担ぐのは変ですね。」
「R君、あなた見たことあるの?誰かの守護霊。」
「ありません。でもさっき、榊さんの守護霊も僕には見えませんでしたから。」
「確かに彼の一族は護られてるし、榊さんは跡取りだから特に手厚い加護を受けてる。
でも榊さんたちを護ってるのは高次の、途方も無く大きな力。
守護霊なんて言ったら、とても失礼だわ。それこそ恐れ多い。それにね、
今はとても一般的になっちゃってるけど...もともと一般的な意味での守護霊なんて無い。
多分守護霊なんて、憑依した悪霊が自分の悪行を続けるために
宿主を護ってるのを誤解した半端な能力者が言い出した概念だと思う。」 - 56 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:36:05 ID:uKgUQbmo0
- 「じゃあ、あの手みたいな影は男に憑依した悪霊の?」
悪霊に操られている。それならあの男があんな怖ろしい犯罪を犯し続けるのも理解できる。
「違う。憑依した悪霊なんかじゃない。あの影は、あの男自身。」
あの男自身?あの影は生き霊ってことか、でもあの男は。
「そう、それだけこの件は深刻。本来生き霊が活動出来るのは、本体の意識が無い時だけ。
でも、あの男が普通に街中を歩いている時に生き霊が活動し、捜査を妨害した。」
「...どういうことですか?」
「悪霊に憑依されたんじゃなくて、あの男が生きたまま、その魂が悪霊になってしまってる。
昨夜話したでしょ?幽霊になりやすい種類の魂があるって。恐らくあの男の魂はその中でも
更に希な霊質を備えていたんだと思う。だから生きたまま、魂が異形に変化してしまった。
そうなると生きた人間の体にも、死んだ人間の魂にも影響力を行使できるし
本体としての意識と生き霊としての意識を、同時に活動させることも可能になる。
さて、最初の質問の答えはこれでお終い。2つ目の質問をどうぞ。」
「...自分なりに頑張って修行はしてるつもりですが、悪霊を相手にするのは初めてで
正直ちょっとビビってます。来週の金曜日、何か僕が気を付けることはありますか?」
「ひとつだけ。怖いのはあたりまえだけど『鍵』はかけないで。最初から最後まで。
そして何を感じたか教えて欲しいの。そうじゃないと適性を調べることが出来ないから。
もし本当に危ない時は私がちゃんと対応する。だから、信じて言う通りにして。」 - 57 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:37:15 ID:uKgUQbmo0
- 少し恥ずかしかったが、ちゃんと聞いておいて良かった。
今の俺があるのはSさんのお陰、自分自身よりSさんを信じる方が俺には簡単だ。
「分かりました、約束します。惨めな姿をさらしても、見放さないで下さいね。」
「...もし適性が、なかったら...その方が、どんなにか私も、Lも」
Sさんの眼にまた涙が浮かんだので俺は慌てた。
「ストップ!涙禁止です!! 適性が無かったら僕が困ります。絶対無様なことはしません。
そのためにも3つ目の質問、良いですか?」
Sさんはハンカチで目頭を押さえ、一度鼻を啜ってから小さく頷いた。
「どうぞ。」 小さな声だ。胸の奥が痛む。
「4人目の女の子のことです。その子もあの男の被害者なんですか?」
途端にSさんの顔が厳しく引き締まった。濡れた睫も凛々しく見える。
「この件の核心に関わることだけど、その質問には答えられない。
来週の金曜日、あなた自身でそれを感じて欲しいの。だから、これは宿題。」
「それを感じるために、鍵を掛けないでおくんですね?」
「そう、これで4つ目の質問だけど、3つ目の質問の付録ってことにしてあげる。」
「重ね重ねの特別扱い、心から感謝致します。」
「いいえ、どういたしまして。」
本当はもう1つ聞きたいことがあったが、それも宿題にしよう。
俺に適性があり術者として生きていけるなら、きっと来週の金曜にその答えが分かる筈だ。
車は既に街を抜け、お屋敷に繋がる山道に入っていた。
今日もまた、雨が降っている。
『卯の花腐し』、俺は何故かその言葉を思い出した。
あれは何時、誰から聞いたのだったか。 - 58 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:40:19 ID:uKgUQbmo0
- お屋敷に着き、車を降りても姫の姿は見えなかった。
いつもなら、車の音を聞いたら翠を抱いて玄関先まで出て来てくれるのだが。
Sさんが鍵を開け、お屋敷の中に入る。
俺は2人分の傘の水を切り、玄関先の傘立てに立て掛けてから後を追う。
「出前、取って正解だったかも。」 Sさんが唇に指を当てたあと小声で手招きをした。
リビングのテーブルに離乳食用の食器が一揃い。きれいに空っぽだ。
ソファに姫が寝ていて、そのお腹の上に翠がうつぶせで寝ている。
2人ともちょっとやそっとじゃ起きそうにないほどグッスリ寝ているようだ。そして。
姫の胸元がはだけて、左の乳房が露わになっている。眩しい。
翠は既にほとんど離乳食への切り替えを終えていたが、
満腹になって眠くなるとSさんの乳房を恋しがってぐずる事が度々あった。
そんな時、Sさんはもう母乳の出なくなった乳房の乳首を翠に含ませる。
そうすると翠は満足して、やがて深い眠りにつくのだった。
それを見つめるSさんの優しい微笑み。良く似た充足感が姫の寝顔にも見て取れた。
おそらく今日も食後に翠がぐずったのだろう。Sさんの対応を見たことのある姫はそれで...
「はい、殿方はここまで。分かってると思うけど、これは見なかった事にしてね。」
Sさんは俺の背中を押してリビングから追い出そうとする。
「心が読めるのにそんなことしても意味無いんじゃ」
「大有りよ。『知らない振り』してくれたって、それが大事なの。女の子には。」 - 59 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:41:12 ID:uKgUQbmo0
- 俺がリビングを出ると、車の音が聞こえた。ちょうど寿司の出前が届いた所だった。
Sさんが注文した6人前(!)の寿司に、取って置きの日本酒を添えてパーティーが始まった。
俺が1人前を食べる間にSさんと姫は2人前ずつをさっさと平らげる。
食べながら飲みながら代わる代わる翠をあやし、残りの1人前を3人で片付けた。
大学生になってから、姫も少しだけお酒に付き合ってくれるようになった。
ただ、姫の頬が仄かな紅に染まっているのがお酒のせいなのか、
それとも先刻の俺の『知らない振り』のせいなのか、それは分からない。
後片付けが終わってから着替えて、みんな揃ってSさんの部屋で昼寝をした。
Sさんと姫は翠を挟んでベッドの上、俺はソファの上。
午前中にあんな話を聞いたのがまるで嘘のような、静かな、穏やかな雨の午後。 - 60 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:42:55 ID:uKgUQbmo0
- 激しい雨音で眼が覚めた。本当に、よく降る雨だ。
時計を見るともう5時前、さすがの雨空も少し明るくなっている。
姫は翠と一緒に自分の部屋。Sさんは昨夜もそれを止めず、微笑んで二人を見送った。
俺はSさんをベッドに残して窓から外を眺めた。宿題のことを考える。
Sさんからの宿題、4人目の女の子。そして俺自身のもう1つの宿題。
「生きたまま、あの男の魂が悪霊に変化した。」 Sさんはそう言った。
では、そのきっかけは一体何だったのか?
もともと小児性愛の性癖があり、たまたま女の子を殺したのがきっかけだったのか。
それが癖になって犯行を重ね、その度に男の魂は異形へと変わっていった。
いかにもありそうな話だが、俺はその考えをどうしても肯定できなかった。
あの女子高生の件に関わった時、Sさんは彼女が乱暴されていた事を俺に隠さなかった。
もし被害者たちが乱暴されていたなら、今回もそれを俺に話してくれた筈だ。
Sさんが話さなくても、事件について説明の中で榊さんが話してくれただろう。
人が生きたまま、その魂が悪霊に変化する程の出来事。
それが単に異常な性癖によるものとは思えない。
何処か落ち着かない、微かな違和感が俺の心に蟠っていた。 - 61 :卯の花腐し(中?A) ◆iF1EyBLnoU:2013/04/29(月) 00:46:04 ID:uKgUQbmo0
- 「ね、何を考えてるの?」
振り向くとSさんがベッドで上半身を起こしていた。ベッドに戻り、座って肩を抱く。
俺の心を読むのは簡単な筈なのに、そうしなかったのは...。
「昨日の宿題の事を、考えてました。」
「形見や名残の品があるなら別だけど、遠い魂の想いを辿るのはどんな術者でも至難の業。」
「はい、全然分からないので、もう一度寝直そうとしてた所です。」
「ね、じゃ私の気持ちを当ててみて。答えは2つ、宿題を解くための練習問題。」
Sさんは言い終わると俺の唇にキスをした。
俺はSさんの瞳を見つめた。いつも通り、黒く、深く澄んだ瞳。心の奥が熱くなる。
そうだ。Sさんはさっき俺の心を読まなかった。
もし、こんなに近くにいる大切な人の、その心も読めないのなら俺に適性などある筈もない。
「目が覚めたら、僕がベッドに居なかったのでびっくりして、少し寂しい。どうですか?」
「ご名答、残りのもう一つは?」
突然。ふっ、と、百合の花に似た良い香りが立った。強い香り、体が震える。
俺はSさんの体を強く抱きしめたあと、パジャマをそっと脱がせた。眩しい程白い肌。
そっと囁く。 「これが、答えです。」
Sさんの両腕が優しく、そして強く、俺の頭を抱き寄せた。
「正解。」『卯の花腐し(中?A)』 了