卯の花腐し

19 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:13:33 ID:RD7zILew0
 皆様、こんばんは。藍です。お久しぶりです。

 知人の説得に一応成功し、3月末には原稿を受け取っていたのですが
昨年度末・新年度始めの目の回るような忙しさで投稿出来ませんでした。
前スレは終了してしまったようなので、こちらに投稿させて頂きます。

 皆様に楽しんで頂ければ良いのですが
もし鬱陶しく思われる方がおられましたら大人のスルーでお願い致します。
では、以下『卯の花腐し(上)』です。

20『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:21:28 ID:RD7zILew0
 梅雨の走りの雨が、昼前からずっと降り続いていた。

 雨音に混じって、俺のいる車道と交差する横断歩道の
歩行者信号が青になった事を知らせる電子音が聞こえている。
俺はSさんに頼まれた買い物を終え、お屋敷へ帰る途中。
既に夕方で車の流れはやや渋く、列をなすテールランプが明るさを増していた。
その時、何か白いものがロータスの助手席側を通った。
子犬だ。
きょろきょろしながら車道の端を危なげな足取りで進んで行く。
半年程前からこの交差点の近くでよく見かけるようになった。
首輪が付いているし、ころころ太って毛並みも良いから飼い犬だろうが、
あれじゃ何時事故に遭っても仕方がない。何故ちゃんと繋いでおかないのか。
子犬を見かける度、俺は飼い主に対して軽い憤りを感じていた。

21『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:22:26 ID:RD7zILew0
 前方の信号が青になった。少しして車の列が流れ始める。
「あ!」
車道から横断歩道に入り込んだ子犬に向かってRV車が左折していく。
巻き込まれる。あのタイミングでは到底助からない。
『轢かれた?...』 交差点を直進しながら俺は横断歩道を確認した。
血塗れの子犬の轢死体を見るのは胸が痛むが、確認せずにはいられない。
!? RV車の通り過ぎた横断歩道に子犬が立っていた。すぐに俺の後ろの車が左折する。
しかしその後もバックミラーには横断歩道に立つ子犬の姿が映っていた。まさか、何故?
そういえばあのRV車も、俺の後ろの車もほとんど減速しなかった。
まるで子犬など全く見えていないように。いや、それよりも。
あの子犬は、半年前から全く成長していないではないか。
そして、この雨の中、その毛並みは全く水を含んでいなかった。
何故気が付かなかったんだろう?
『幽霊?子犬の...』

22『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:23:38 ID:RD7zILew0
 Sさんについて本格的な修行を始めてから、
以前は見えなかったものが俺にも少しずつ見えるようになっていた。
『本当に幽霊がいるならそこら中が幽霊だらけだろう』
そういう意見は昔からあるし、それは確かにもっともだが
実際に普段の生活の中で見かける幽霊の数はそれほど多くない。
ましてや犬の幽霊なんて、今まで一度も見た事が無かった。
あれは本当に犬の幽霊だったのか?動物の幽霊なんて存在するのか?
動物の幽霊が存在するなら、それこそそこら中が霊だらけの筈ではないのか?
自分の眼で見たものが半ば信じられないまま、俺はお屋敷に向かって車を走らせた。

23『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:24:49 ID:RD7zILew0
 「あの、話は変わるんですけど。」 「何?」
夕食後、リビングで俺とSさんは他愛ない話をしながらハイボールを飲んでいた。
姫は既に翠を抱いて自分の部屋に戻っている。2人とも、もう寝た頃だ。
Sさんは何か考える事があるのか、今夜は特に姫を追いかけたりはしなかった。
「動物の、例えば犬の幽霊って、いるんですか?」
「いることはいるわよ。でも数はとても少ない。」 Sさんはハイボールを一口飲んだ。
「動物は幽霊になりにくい、とか?」
「説明が難しいけど、『人間の心との関わり』があった動物だけみたいね。幽霊になるのは。
そしてそれが『良い関わり』か『悪い関わり』かで幽霊の性質は全然違ったものになる。
良い関わりなら御利益をもたらし、悪い関わりなら祟りをなす。ま、程度の問題だけど。」
「普通の、野生の動物は幽霊にはならないんですね。」
「そう。それにしても少なすぎると思わない?」 Sさんの眼が輝いた。
「動物の幽霊だけじゃなく人の幽霊も、何故そこら中が幽霊だらけじゃないのかしら?」

24『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:26:21 ID:RD7zILew0
 Sさんがこんな顔をするのは俺に何かを教えようとする時だ。必死で考える。
「ええと、例えば相当な恨みをもって死んだ人じゃないと幽霊には、でも、それだと。」
「そう、恨みをもって死んだ人だけが幽霊になる訳じゃない。
もしそうなら、戦場の跡なんてそれこそ幽霊だらけのはずなのにそれほどでもない。
逆に思い残す事など無いはずの人が幽霊になって現れたという話も普通にある。」
恨みでも、思いの強さでもないとしたらそれは...
「幽霊になりやすい人と、なりにくい人がいるってのはどうでしょう?」
「素敵、今夜も冴えてるわね。ほとんど正解。」
Sさんは俺の頭を軽く撫でてから、ハイボールをまた一口飲んだ。
「もう数百年も前の先祖の時代から、私たちは魂の性質を『霊質』と呼んでる。
人によって体質が少しずつ違うように、人によって霊質も少しずつ違う。
そしてごく稀に、幽霊になりやすい霊質の人がいる。
そういう人の魂は肉体との結びつきが少し弱くて、場合によっては肉体が生きている内から
何かのきっかけで魂が肉体を離れて活動することがある。いわゆる『生き霊』がこれね。
おそらく『飛頭蛮』や『ろくろ首』も多分生き霊から派生したイメージだわ。」

25『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:27:17 ID:RD7zILew0
 「生きている人の霊質を見分ける事は出来るんですか?」
「霊質の違いは微弱な信号として肉体に現れる。それが『気紋』。」
気紋、聞いた事のある言葉だ。胸の奥が痛む。あれはいつ、何処で聞いたのだったか。
「高位の術者やうまれつき資質を持っている人なら、気紋を感知して識別できる。」
Sさんは俺の眼を見つめて微笑んだ。「例えば、あなた。」
思い出した。確かにあの時Kは、俺が『気紋』を識別できると言い、それを不思議だと言った。
「お母様があなたの感覚の一部を封じた代わりに、気紋を感知する感覚が鋭くなったのね。
あなたは無意識に気紋を感知して識別してる。私の『百合の花に似た香り』みたいに。」
「百合の花の香りって!それは。」
会話の途中でSさんが俺の心を読んで先回りするのには慣れっこだがこれには驚いた。
その香りについて、今までただの一度も、話題にしたことはなかった。それなのに。
「私を抱きしめてくれる時、あなたの心には必ず百合の花のイメージが浮かぶ。
そのあとでラベルに百合の花がデザインされた化粧品や香水のイメージ。
でも、私は普段化粧をしないし香水も使わない。」
「じゃあ、あの香りは?」
「あなたは感知した気紋を無意識に五感の嗅覚に置き換えて認知してるってこと。
女性の気紋を花に例えて分類するのはとても古くからある手法だし、
真っ白な百合の花に例えられるのは、女として悪い気分じゃない。」
そういえば俺は姫のイメージが昼咲月見草に似てると書いたことがある。もしかしてあれも。

26『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:28:32 ID:RD7zILew0
 「ところで、今夜、犬の幽霊の話を持ち出したってことはあなたにも見えるのね。
○町南交差点辺りの、あの白い子犬。」
!! 心臓が止まるかと思った。
「驚きました、図星です。どうして分かったんですか?」
心なしか、Sさんの表情が曇ったように見えた。
「あの子があそこに現れるようになったのは去年の9月頃。
今、あなたの行動範囲に現れる犬の幽霊はあの子だけだからすぐに分かった。」
それならSさんは俺より3ヶ月程早く気付いていた訳だ。
「可哀相だから何とかしようと思ったけど駄目だったわ。あの子は一生懸命探してる。
自分を置いたまま帰ってこなかった小さな女の子を。
普通の人にはまず見えないし、手荒な事をするのは余計可哀相だからそのままにしてるの。」

27『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:29:32 ID:RD7zILew0
 「その女の子は、あの子犬の飼い主、ですか?」
「それは分からない。あの子の記憶の断片に女の子の姿が見えただけ。
夕暮れ時、迷って不安だった自分を抱き上げてくれたこと。それがすごく嬉しかったこと。
でも、女の子は男の人に手を引かれてどこかへ行ってしまった。」
「女の子のお父さんが迎えに来たんでしょうか?」
「それも分からない。ただ、あの子は一生懸命女の子を探して...」
Sさんは言葉を切って、小さく息を吐いた。
「あの交差点で事故に遭ったんですね。それで。」
「そう、だからいつも大体同じ時間、夕方に現れて繰り返してる。
女の子に会った場所からあの交差点までを。女の子にもう一度会いたい一心で。」
「何時か女の子に会えたらあの子犬も?」 「本当に、そうなれば一番良いんだけど。」

28『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:30:39 ID:RD7zILew0
 Sさんはハイボールの残りを飲み干して小さく伸びをした。
「さて、眠くなってきたから私の話も聞いてね。」 「勿論です。」
「明日、依頼人に会いに行く時、私と一緒に来て欲しいの。」
「新しい依頼があったんですね。僕で良いんですか?Lさんじゃなくて?」
「今はお社の管理だけだけど、修行の進み具合によっては別の仕事の依頼も来ると思う。」
「...僕への仕事の依頼ってことですか?」
「そう、実を言うともう何十年も前から術者の数が足りなくて、慢性的な人手不足なの。
その時のために、あなたの適性を調べておきたい...そうしないと心配で堪らない。」
Sさんは右手でそっと俺の左頬に触れた。
「適性に合わない仕事を受けるのは、特に初めのうちは本当に危険だから。」
もし、仕事の依頼が来れば名実ともに俺は一族の一員と言うことになる。
ならこれは俺にとって、チャンスと考えても良い筈だ。
勿論、不安もあるが、Sさんが俺に期待してくれているということだから。
ぴいん、と、気が引き締まるのを感じる。下腹に力を入れた。
「わかりました。一緒に連れて行って下さい。」
「うん、良い返事。じゃ、明日に備えてもう寝ましょ。」

29『卯の花腐し(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/04/23(火) 20:41:43 ID:RD7zILew0
 『卯の花腐し(上)』 了

 『卯の花腐し(中)』は今週末か、
遅くとも来週始めには投稿したいと思っています。
それでは今夜はこれで失礼致します。
拙い話にお付き合い頂いた皆様、ありがとう御座いました。

                           藍

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