- 377 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:30:13 ID:0d..PXhI0
- 『礎(上)』
「この2・3日、クマゼミの鳴き声が随分小さくなった気がしますね。」
ダイニングで一緒に夕食の準備をしていた姫が、寂しそうに呟いた。
確かに...8月も終わりに近づき、日差しが少し柔らかくなったような気がする。
「とても忙しかったから意識してませんでしたが、もう、夏も終わりなんですね。」
あの大災害に関わる仕事も一段落して、お屋敷にも平穏な日々が戻っている。
しかし夏の終わりはいつも感傷的な気分。 その時、俺のケイタイが鳴った。
榊さんに依頼された仕事、そろそろ結果の連絡が来る頃だと思って電源を入れていた。
しかし、画面に表示されていたのは別の名前。『瑞紀ちゃん』。
彼女は去年高校を卒業して沖縄に戻り、ノロになるための修行を続けている。 - 378 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:31:55 ID:0d..PXhI0
- 去年の夏。瑞紀ちゃんとの約束通りに、俺は翠を連れて沖縄を訪れた。
翠は彼女にとても懐いていたから、沖縄で彼女と再会するのをとても喜んだ。
俺たちは彼女の祖母、その集落のノロクモイの家に泊めてもらい、楽しい時間を過ごした。
だが今年は震災に関わる仕事でいつの間にか夏も終わり。出来れば今からでも約束を。
「もしもし、瑞紀ちゃん?」 「はい、瑞紀です。」
「久し振りだね。少し遅くなったけど、旅行の話がしたかったから丁度良かった。」
「今日は旅行の件じゃなくて、あの、もちろん沖縄には来て欲しいんですけど。」
何だか歯切れが悪い。いつもなら俺が後ろめたさを感じる程、嬉しそうな声なのに。
「どうかした?何だか元気が無いみたいだけど。」
「いいえ、大丈夫です。Sさん、いますか?」 「いるよ。翠と絵本読んでる。」
「御免なさい。都合が悪くなければ、Sさんに替わって下さい。」
??? 瑞紀ちゃんはSさんのケイタイの番号を知っているのに、何故俺の。
ああ、掛け間違えたのか。それなら少し気まずい感じなのも納得だ。
「分かった、すぐに替わる。ちょっと待ってね。」 急いでリビングへ向かった。
「Sさん、電話です。瑞紀ちゃんから。何か相談事かも知れません。」
「瑞紀ちゃん?何かしら。」 翠は絵本に夢中、電話の邪魔にはならないだろう。
キッチンに戻って夕食の準備を続けた。 - 379 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:34:13 ID:0d..PXhI0
- 「みんなで沖縄に行く事になった。9月の8日から、18日まで。10泊11日の旅行。
仕事も一段落したし、骨休めの旅行がてらノロクモイのお手伝いをするのも悪くないわよね。」
夕食後の一時、お茶の時間。翠と姫は小さなケーキのデザート付き。
「みずきちゃんのところに行くの?うれしい〜。」
「翠ちゃんは瑞紀ちゃん大好きだから、良かったね。」 「うん!」
きんちゃん、あの青い金魚は未だ碧さんと暁君の家にいる。
2人はきんちゃんをいたく気に入っているので、預けたまま旅行しても不都合はない。ただ。
「あの、ノロクモイのお手伝いっていうのは、一体何を?」
一瞬、Sさんはイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「今年は12年に一度の大切な祭事があるんだって。その祭事のお手伝い。
ノロクモイがあの状態だし、瑞紀ちゃんはまだ修行中。だから、ね。」
成る程。系統は違っても、Sさんや姫なら代理で祭事を仕切る位なら。しかし。
「それは集落の人間じゃなくても良いんですか?大切な祭事なのに。」
余所者の関与はもちろん、研究目的の参観すら許されない祭事もある。
「余所者の方がかえって都合が良いそうよ。ノロクモイが招いた余所者、『マレビト』ね。」
マレビト、稀人か。それなら確かに余所者でも不都合はない。
「そんな大切な祭事が1日だけって事は、ないですよね?」
「3日間。でも、10泊の内3日だから余裕がある。R君、早速飛行機と車、予約してね。」
「了解です。」 「うん、良い返事。」 - 380 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:39:06 ID:0d..PXhI0
- その集落に着いたのは昼過ぎ、瑞紀ちゃんはノロクモイの家の前で俺たちを待っていた。
すぐに翠が瑞紀ちゃんに飛びつく。瑞紀ちゃんが翠を抱き上げた。
「こんにちは、翠ちゃん。」 「ほんものの、みずきちゃんだ〜。」
「瑞紀おねえちゃんとか、瑞紀さんって呼ばなきゃ駄目でしょ。年上なんだから。」
「お父さんの言うとおり、おねえちゃんって呼んだほうが良いの?」
「おねえちゃんでも良いけど、何時か、お母さんって呼んでくれたら嬉しいな。」
「みずきちゃんが、お母さん?どうして?」
「Rさんのお嫁さんになりたいから。もしそうなったら、私も翠ちゃんのお母さんでしょ?」
...藪蛇だ。去年の夏の記憶が蘇る。
「ちょっと、ストップ。何処で誰が聞いてるのか分からないのに、そんな。」
「誰かに聞かれて困る事なんかないですよ〜。じゃ、翠ちゃん、行こっか。」 「うん!」
翠を抱いた瑞紀ちゃんはさっさと門の中に入ってしまった。 そう、去年もあの調子。
彼方此方であけすけな説明、一体俺はこの集落の人達にどんな人間だと思われている事やら。
「『好きな人がいます。』って宣言しておけば、言い寄る男もいないわね。はい、荷物運んで。」
Sさんの笑顔。少し、目眩がした。 - 381 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:41:21 ID:0d..PXhI0
- 沖縄に到着した日の夜、みんなでノロクモイの部屋に挨拶に行った。
翠との再会を喜んでくれているようだったし、翠もずっとノロクモイの傍に座っていた。
最初に沖縄を訪れた時の事からして、2人の間にはきっと深い縁があるのだろう。
次の日。Sさんと姫は夕方一時間ほど公民館での打ち合わせに参加した。その次の日も。
祭事とその前後の数日間は、たか子さんも家を空ける事が多いので、
親戚の人だという初老の女性が手伝いに来ていた。名前は○子さん。
無口だが、とても親切にしてくれたから翠と藍の世話にも困ることは無かった。
そんなこんなで、とうとう祭事は明日から。一体どんな祭事だろうか? - 382 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:42:39 ID:0d..PXhI0
- 次の日、瑞紀ちゃんは朝食を済ませると直ぐに家を出た。祭事の準備だろう。
Sさんと姫も、昼食を済ませた後で祭事の手伝いに向かった。
俺はさらに2時間ほど遅れて家を出た。目的地は集落の公民館。
翠と藍を連れて、公民館前の広場で祭事を見学することになっている。
広場には小学生くらいの男の子から初老の男性まで、20名ほどが集まっていた。
軽く会釈をしながらSさんと姫の姿を探す。しかし見当たらない。瑞紀ちゃんも。
祭事を仕切っているのはたか子さん、瑞紀ちゃんの叔母にあたる女性。
暫くすると男達は草の髪飾りをつけて歩き出した。集落の外れの山へ向かっているようだ。
「暑いですから、中でお待ち下さい。翠ちゃんも、どうぞ。」
たか子さんに促されるまま、公民館の中に入る。
広間の椅子に座ると、厨房で作業をする女性達の中にSさんと姫の姿を見つけた。
食事の用意?これなら別に2人でなくても。それに、瑞紀ちゃんは何処に?
翠が厨房の入り口に駆け寄った。「おかあさん、瑞紀ちゃんは?」
「ノロクモイのお手伝いしてるけど、邪魔しちゃ駄目よ。」 「は〜い。」 - 383 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:56:00 ID:0d..PXhI0
- 30分程して、男達は広場に戻ってきた。
皆、全身びしょ濡れ、それぞれ両手で濡れた木の枝を持っている。
「あの枝で村中の家を祓って廻ります。それが今日の祭事の中心で、夜は宴会ですね。」
たか子さんは穏やかな笑顔で広場から男達の後ろ姿を見送った。
幾つかのグループに分かれた男たちが家々の祓いを全て終えたのは4時半頃。
男達は髪飾りと木の枝を広場の中央で焚かれた火に投げ込み、三々五々に散って行く。
「家で着替えてからもう一度此処に集合して宴会なんだって。私たちはもう帰りましょ。」
振り返るとSさんと姫が立っていた。
「もう、お手伝いは終わりなんですか?」
「そう、残りはまた明日...何だか不満そうね。 自治会長さんから
『宴会にも参加して欲しい。』って言われたのを断ったのに、参加した方が良いかしら?」
「いや、不満なんか。SさんとLさんが炊事係なんて、すごく贅沢な祭事だと思っただけで。」
実は姫から妊娠の兆しがあると聞かされていたから、軽い仕事ならむしろ安心だ。
皆でノロクモイの家に戻り、夕食の後は庭で花火。それからお風呂。公民館の方向から
聞こえる賑やかな声と音楽以外、とても12年に一度の祭事中とは思えない穏やかな夜。
ただ、相変わらず瑞紀ちゃんの姿が見えない。
ノロクモイの手伝いをしながら勉強することが沢山有るのだろう。 - 384 :『礎(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/08/15(金) 22:58:10 ID:0d..PXhI0
- 翌日の祭事が始まったのは午後4時過ぎ、その日の主役は集落の女性達だった。
宴会の用意は既に終了していて、今日は家族5人そろって見学。
公民館から集落の外れ、砂浜に移動した女性達が輪になって踊り、厳かに神歌を唱う。
揃いの白い着物に鉢巻き。鉢巻きの巻き方が違うのは未婚・既婚による違いらしい。
祭事を仕切るのはやはり、たか子さん。凛々しい表情。うん、何だか本格的、素敵だ。
やがて踊りの輪が解けた。たか子さんを先頭に女性達がゆっくりと海の中に入っていく。
全員が腰の辺りまで海に入ったところで先程とは違う神歌が始まった。
何処か賑やかな調子。女性達は皆、沖に向かって手招きをしている。
海の神様を招き、豊漁を祈願する儀式。似たような儀式は他の集落にもあると聞いた。
昨日は男性達が主役で山に、今日は女性達が主役で海に。対になる祭事。
神歌が終わると、たか子さんを先頭に女性達が海から上がった。公民館に戻るのだろう。
宴会が始まるまで、公民館と公民館前の広場は男子禁制らしい。
女性達の列を見送ってからノロクモイの家に戻った。『礎(上)』 了