遺産(中)

432『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:16:09 ID:YP4f5pak0
『遺産(中)』

 俺たち4人が当主様のお住まいに着いたのは5月2日、午前11時過ぎ。
遍さんの言葉通り、洋館の一階、かなり大きな部屋が用意されていた。
この洋館は当主様のお住まいであると同時に、
様々な『公務』を行う術者の宿泊場所としても利用されているのだろう。
もちろん本来なら俺のような駆け出しの術者が宿泊できる筈はないが、
SさんとLさんのお陰で此所を利用させて貰える。本当にありがたい。
俺と姫で荷物を部屋に運んだ後、4人揃って食堂で食事をした。
給仕の世話をしてくれたのはとても感じの良い女性。名前はMさん、40歳くらい?
此所に滞在する間、専属でSさんと翠を担当してくれるという。心強い味方だ。
食後のコーヒーを飲みながら、Sさんは優しく微笑んだ。
「当主様と桃花の方様の御帰着は明日の午後、御挨拶は調査の後になるわね。」
「Sさんと離れるのはとても辛いですが、此処なら安心です。
でも、調査が終わるまで、くれぐれも身体には気を付けて下さい。」
「大袈裟ね。連休中私は此所でのんびりできるんだし、
Lが一緒なんだから、あなただって辛いことなんか無いでしょ。」
そう、意外な事に姫は調査への同行を望んだ。
『こんな機会は滅多にないから』と姫は言ったが、もしかしたら
Sさんがご両親と水入らずで過ごせるようにという配慮があったかも知れない。
釣りも上達しているし、大物はともかく中型のスズキまでなら問題無く釣れる筈だ。
あっけないほど簡単に遍さんの同意も得られ、姫は正式に調査隊の一員となった。

433『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:17:15 ID:YP4f5pak0
 調査の日程はまず今日(2日)〜4日まで、
それから1日の休みを置いて6日〜8日までの2部構成。
色々な事情があって通しの日程は組めないらしい。
本来は調査の間だけ遍さん1人が滞在する施設なのだから、
3人の調査隊が施設のキャパを超えていても無理は無い。
遍さんの四駆に荷物と釣り具を手早く積み込み、出発したのは午後1時30分過ぎ。
夕方までに現地で予備調査を済ませることになっていた、少し窮屈な日程だ。
遍さんは運転席、俺と姫は後部座席。少し走ってすぐに脇道へ入る。
未舗装路だが思っていたよりは広いし、それほど荒れてもいない。
姫は早々に丸くなって寝てしまった。適度な揺れが気持ち良いのかも知れない。
この道が研究のために整備されているとすれば、遍さんはかなりの有力者ということになる。
俺への依頼や当主様のお屋敷で宿泊の手配、それを自身の一存で提起できるとしたら...
ハンドルを握る遍さんに、俺は思わず話しかけた。
「あの、聞きたいことがあるんですが。」 「はい?」
「もしかして、遍さんは『上』のメンバーなんですか?」
遍さんはまっすぐ前を見たままで、穏やかな笑顔を浮かべた。

434『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:18:52 ID:YP4f5pak0
 「本当は答えてはいけない質問ですが、あなたには隠しても意味がありません。
前にも話した通り、私には術者になる程の力は無く、研究に一生を捧げるつもりでした。
もともと人付き合いや議論は苦手な方でしたし。
都合の良いことに妹がかなりの力を持っていましたから、
本来は彼女が成人したら家を代表して『上』のメンバーになる筈だったんです。
しかし、突然事情が変わりましてね。」
遍さんはバックミラー越しにチラリと俺を見た。
「何が、有ったんですか?」
「妹が、ある御方に恋をしたんです。しかも熱烈な両想い。
普通に考えれば身分違い、不相応な恋。家族中大騒ぎでした。
でもその恋は成就して、彼女は『上』のメンバーになれなくなった。それで私が代わりに。」
両想いの恋が成就したから『上』のメンバーになれない? 一体どういう事だ?
「もしかして、ある御方というのは。」
「そう、当主さまです。当時はまだ御即位前でしたが。」
なら、遍さんは桃花の方様の兄上。つまりSさんと俺にとって。
「あの、じゃ遍さんはSさんと僕の」
「今のは此所だけのお話です。当主様と桃花の方様の血縁は封じられていますから。
忘れないで下さい、私とあなたは同じ一族の一員。それだけです。
さて、もうすぐ到着ですよ。」

435『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:25:07 ID:YP4f5pak0
 やがて4駆は開けた場所に出た。車が通れる道はそこで途切れている。
平屋の研究施設、隣に自家発電用らしい設備、そして貯水タンクと大型のポンプ。
金属のパイプがポンプから近くの草むらに伸びていた。パイプの先は見えないが、
その方向から微かに水音が聞こえる。近くの沢から水を引いているのだろう。
3人で荷物を施設の中に運び、遍さんが食料等を収納する間に、俺は釣り具を準備した。
取り敢えず小物用の釣り具を2セット、俺と、そして姫の分。時計を見た、午後2時40分。
初めての釣り場。いきなり夜の釣りは危険だ。明るいうちに下見をしておく必要がある。
出来れば実際に小物を何尾か釣って、調査の手順も確認しておきたい。
「じゃ、出掛けましょう。お、釣り具の準備は万端ですね。」
「予備調査なので小物釣り用を準備しました。ところで服装はこれで大丈夫ですか?」
獣道のような細い道を歩くと聞いていたので、トレッキング用の服と靴を用意した。
「ああ、それで大丈夫です。藪こぎするような道ではないので。
ただ、始めのうちは斜面がかなり急です。それだけは気を付けて下さい。」
遍さんの言うとおり、施設のある広場からかなり斜度のある斜面に細い道が伸びている。
かなり急な下りの坂道。これが獣道?道の先は見えないが、
斜面に続く平地に河と、そしてさらに先には海岸が見えていた。入り江のような小さな湾。
「釣りをするのはあの河ですね?」 「はい、あの河の河口付近です。」
その時、突然首筋から頬にかけて微かに鳥肌が立った。
パイプの伸びている草むらの奥に、複数の気配を感じる。多分、視線。
先に立った遍さんは既に獣道を降り始めている。後を追いながら姫に尋ねた。
「Lさん、あの気配、何でしょうね。」
「特に悪意は感じません。心配無いと思います。」
姫の笑顔はとても、優しかった。

436『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:27:58 ID:YP4f5pak0
 10分程で斜面を降り、さらに平地の草むらに伸びる細い道を歩く。
30cm程の幅で地面がむき出しになっていて、普通の獣道とは何処か違う。
魚や水辺の生物だけを調査しているわけではないだろう。
それ程頻繁に遍さんがこの道を往復するとは思えない。
比較的大型の動物、例えば野犬や鹿の群れが通る道なのか?
道の両側は背の高い草にびっしりと覆われている。
所々高い松の木が見えるが、その配置が何となく規則的に見えた。
遍さんは古い廃村が幾つかあると言っていた。此所がそうだとすれば、
もしかすると両側の草地は古い水田か畑の跡なのかも知れない。
15分程歩くと高さ2m程の斜面があり、其処を上るといきなり視界が開けた。
河、だ。 向かって左側が下流、河口の方向。
姫と遍さんには待っていて貰い、堤防のような段差の上を歩いてポイントを探した。
川幅は河口付近で50m程。透明度は高い。川岸近くは比較的浅く、あちこちに沈み石。
ボラかアブラハヤのような小魚の群れがあちこちに見える。
ミノー(小魚型のルアー)ならスズキの反応は良さそうだが、
大物を掛けてラインが沈み石に巻かれたら取り込みは難しい。さらに歩く。
やがて川岸近くまで水深のある場所を見つけた。
大きな石が2つあるが、川岸に接しているのでラインを巻かれる心配は無い。
むしろ魚が釣れたら、その石に降りて取り込めば良い。調査も上手く出来そうだ。
引き返そうとした時、向こう岸近くから水音が聞こえた。
波立つ水面に、太い尻尾が見える。
全長1m程の黒っぽい動物が、水中にすーっと潜っていった。
多分ヌートリア、外来の大型齧歯類だ。環境問題を扱ったTV番組で見たことがある。
近年分布を拡げているという話だった。既に『聖域』の中にまで侵入しているとは。
餌の豊富な場所を探して此所に移動してきたのだろう。
『聖域』といえども環境問題からは逃れられないということか、
溜め息をついて俺は歩き出した。

437『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:29:11 ID:YP4f5pak0
 「川岸近くまで澪筋が入り込んでいますから、この場所なら
かなりの大物が釣れても取り込みが可能です。
昼は小物狙い。夕方は多分、大物も回遊してくると思います。」
「Rさん、私、ルアーを投げても良いですか?」 姫が眼を輝かせた。
「ええと、それは。」 それとなく遍さんの表情を窺う。
「釣りについては全てRさんに任せます。1人より2人の方が確率は高いでしょうし。
早速、標本採取の準備をしますから、何尾か釣って下さいよ。」
「じゃ、まずLさんは此所からあの松の木の方向を中心に投げて見て下さい。
僕は少し離れて反対側を探ってみます。」
「了解です。」

438『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:30:43 ID:YP4f5pak0
 「あ、これ、多分釣れてます。」
俺が自分の竿を準備し終える前に姫が声を上げた。竿が綺麗な曲線を描いている。
直ぐにデジタルスケール付きのフィッシュグリップを持ち、
川岸近くの大きな石の上に飛び降りた。
「Lさん、此所に魚を誘導して下さい。」
「はい...これで良いですか。」 「OK、完璧です。」
やはりスズキだ。リーダー(太めの先糸)を取り、
フィッシュグリップでアゴを挟んで持ち上げる、580g。
次はメジャー、34.2cm。 いったん魚体を水中に戻す。
「遍さん、580g、34.2cmです。次はどうすれば良いですか?」
遍さんは手を伸ばし、小さなビニールパックとハサミを渡してくれた。
「大きめの鱗を一枚、それと背ビレの後端を少し切り取って、これに入れて下さい。
ヒレを切り取るのは小指の爪くらいの大きさで良いですよ。」
「了解。」 手早く作業を済ませてスズキを放流する。
川岸に戻ってビニールパックを遍さんに手渡した。
「どうぞ。」 「ありがとう。」 遍さんは驚いたような、呆れたような表情だ。
「スズキが掛かってから放流まで3分弱。見事な連携プレーですね。
予想以上の速さです。これならダメージの心配は不要でしょう。本当に、驚きました。
正直、釣りが調査に最適と聞いた時は半信半疑でしたが、納得です。」
「メーター級の個体だと、寄せるだけで多分数分かかります。
多分こんなに上手くはいきませんが、良いシミュレーションになりました。」

439『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:32:27 ID:YP4f5pak0
 2人で釣りを続け、合計4尾のデータを取った所で予備調査は終了した。
最小の個体は28.1cm/330g、最大の個体は43.8cm/1160g。
予想以上の成果だったらしく、遍さんも上機嫌だ。
何やら鼻歌を歌いながら帰り支度をしている。俺も釣り具をまとめた、その時。
視線を感じて首筋に鳥肌が立った。施設から出発した時の気配に似ている。
姫がそっと囁いた。 「また、見てます。皆、私たちに興味があるんですね。」
「心配は、無いんですよね?」 「はい。」 姫はまた優しく微笑んだ。
施設へ戻るまでの間、それらの視線は確かな気配を伴って俺たちの後を追ってきた。
時折、背後から微かな呼吸音や草を踏む足音が聞こえる。でも、もう鳥肌は立たない。
まあ単に『慣れた』だけなのかもしれないが。

 施設に戻ると遍さんは俺たちを部屋に案内してくれた。
6畳ほどの部屋に折りたたみ式のパイプベッドが2つ。壁に申し訳程度の収納。
宿泊用というより仮眠用の部屋。まあ、旅行では無いのだから贅沢は言えない。
姫と交代でシャワーを使い、着替えると遍さんが声を掛けてくれた。
夕食の用意が出来たらしい。狭い台所の小さなテーブル、レトルトの大盛りカレー。
「済みませんが此処での食事は毎回こんな感じです。
調理の時間が取れないので普通の食材や調理器具は置いていません。」
そういえば台所には飲み物用の小さな冷蔵庫しかない。
遍さんが滞在する間だけ電源を入れるのだろう。
「採取した資料を処理するので私はこれで。明日の朝食は7時、出発は8時です。
あ、冷蔵庫にビールがありますよ。宜しければどうぞ。」
遍さんはさっさとカレーを食べ終えて台所を出て行った。
俺と姫はカレーを食べ終えてからビールを1缶ずつ飲んだ。
部屋に戻ったのは7時30分。

440『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:33:17 ID:YP4f5pak0
 「なんだか慌ただしい1日でしたね。」
「はい。でも、ずっとRさんと一緒にいられて、楽しかったです。」
姫は窓を開け、俺のベッドに腰掛けて夜空を眺めた。
「やっぱり。辺りに灯りが無いから、お星さまが凄く綺麗です。」
「ホントだ。部屋の灯りも消してみましょう。」
灯りを消して姫の隣りに座る。2人で星空を眺めた。ゆっくりと過ぎていく時間。
他愛のない事を話しているうちに姫は寝てしまったので、抱き上げてベッドに運んだ。
俺も自分のベッドに横になる。眠い、意識がすうっと薄れていく。

441『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:36:59 ID:YP4f5pak0
 「...歌?」 どれくらい寝ていたのだろう。
微かな歌声を聞いたような気がして目が覚めた。
窓から見える夜空、星座の位置が少し変わっている。
いつの間にか姫が窓際に立って外を覗いていた。窓枠に身を隠すような姿勢。
やはり声が聞こえている。窓の外、遠くで誰かが歌っているような声。
それは次第に近づいてくる。俺も姫の隣に立って窓の外を覗いた。 これは。
俺たちが降りた斜面の道を、ボンヤリとした緑色の光が列をなして上って来る。
不思議な声は、その光の列から聞こえていた。一体、あれは?
先頭の光が大きく揺らめいた。それは見る間に人のような形に変化していく。
「Rさん、そっと窓を閉めてベッドに。」 囁く声。
言われた通り窓を閉め、ベッドに横になる。姫も横になって俺を抱きしめた。
窓を閉めたので歌うような声はほとんど聞こえない。
しかし、窓枠が緑色の光に照らされている。かなり明るい。
緑色の光が完全に見えなくなくなるまで、俺たちはじっと息を潜めていた。
暫くして、姫が身体を起こした。 立ち上がってそっと窓の外を窺う。
「もう、大丈夫です。」
俺も身体を起こす。 「あれは、何ですか?」
「朝陽が昇る前に河へ降りて河の神様に縋り、
夕日が沈んだ後は山へ上って山の神様に縋る、そういうものたち。
移動する間は河での姿にも山での姿にもなれないので、あんな光に見えます。」

442『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:38:34 ID:YP4f5pak0
「妖怪とか、精霊みたいなもの、ということですか?」
「それが一番近い言葉、でしょうね。普通の幽霊とは、『あり方』がかなり違いますから。
「あの歌は?」
「歌かどうかは分かりません。でもああして仲間を探しているのだと聞きました。」
「仲間って、はぐれた仲間ですか?」
「いいえ、新しい仲間です。海で亡くなったり山で亡くなったりして、
救いを求めている人の魂を仲間に加えるために呼びかける声。」
なら、あの光の1つ1つが、元々は海や山で亡くなった人の魂なのか。
ふと、思い出した。七人の死者、その魂の集合体。
新しい魂を仲間を加えるたび、一番古い魂が成仏するという妖怪の話。
「七人ミサキに似てますね。それだと妖怪と言うより悪霊に近い気がします。」
「実際に確かめた人はいないようですが、
新しい仲間を加えた分、光の数が増えると言われてます。
海岸から山まで途切れなく続く光の行列が見えたという記録も幾つかあるようです。
もしそうなら、七人ミサキのような悪霊とは違いますね。」
「どうして確かめた人がいないんですか?」
「今、此所以外であれが出現するという報告がほとんど無いんです。
先の大戦前は、海辺の古い集落なら似た話が沢山あったらしいんですが。
もし『不幸の輪廻』に取り込まれてしまったのだとしたら、悲しいですね。」
じゃあ、あれは。
哀しい魂たちが『不幸の輪廻』に取り込まれないように寄り集まった姿なのか。
例えばこの世に思いを残しつつ亡くなり、その死を誰にも知って貰えなかった魂たち。
無縁仏とすら呼べない、忘れられた存在。

443『遺産(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/09/01(日) 23:40:10 ID:YP4f5pak0
 「あれが悪霊でないなら、何故、通り過ぎるまで隠れていたんですか?」
「あれが見えるなら、あれからも見えている。そう、言われているからです。」
「あれが僕やLさんを仲間だと思うかも知れない、と?」
「はい。悪霊でも同じですが、複数の魂が融合した状態だと力が強いし、
融合した魂を1つ1つ分離しないと根本的な解決は不可能です。
でも、此所なら『不幸の輪廻』の力は及びません。
それに、今後新しい仲間が増えることもないでしょう。
昼は海の神様に縋り、夜は山の神様に縋って存在し続けるだけ。
それなら、このままでも良いような気がします。」 姫は窓の外を見た。遠い目。
確かに、人間の方が注意して、あれが移動する時間帯を避ければ実害はない。
まして、此処にいる人間があれの仲間に加わるような事態は考えられない。
何でも自分たちで解決できる、しなければならないと考えるのは、不遜だろう。
神様の御心にお任せする、そんな方法があっても良い筈だ。
窓に鍵をかけ、カーテンを閉めて、俺と姫は眠りに就いた。
明け方前、もう一度あれが此処を通る時、その声や姿に気付くことがないように。

『仮題(中)』 了

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