邂逅(下)

150 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 10:59:40 ID:OWZkMMAw0
『邂逅(下)』

 その施設に着いたのは11時過ぎ。道路が空いていたので、予定より少し早い。
海沿いの県道から海岸とは反対方向の細い道に入って数百m、人目に付きにくい場所。
施設の門は開いていて駐車場には大型のバンが一台停まっていた。
分家の術者が使っている車だろう。長期間放置された状態には見えない。
つまり残った分家の術者は2人とも、今この施設内にいることになる。
「Rさん、いよいよですね。」 「はい、宜しくお願いします。」
姫は微笑んで右手を差し出した。その手を左手でしっかりと握り、目を閉じる。
じいぃぃん、胸の奥が熱い。俺と姫の心の一部が重なっている。
この時のために、昨夜から2人で準備を整えて来た。
2人の意識を繋げることでお互いの力を共有する。『あの声』と『言霊』。
系統は違うが、どちらも言葉を媒とする力。組み合わせて共有するのは難しくない。
まず俺が車から降り、注意深く辺りの様子を窺う。術者の気配は感じない。結界の、中か。
助手席のドアを開け、姫も車から降りた。手を繋いだまま歩く。
姫の信頼が伝わってくる。俺の気持ちも姫に伝わっている。それがとても心地良い。
大仕事を前にして、俺たちは不思議なほど落ち着いていた。
この仕事に全力であたる。結果はどうあれ、俺たちは最後まで一緒だ。

151 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:02:51 ID:OWZkMMAw0
 施設の玄関前まで来た時、スロープの脇に棒のような物を見つけた。
長さは約80cm、先端にバネ仕掛けらしい鎌状の刃。刃渡りは10cmほど。
反対側の端は革巻きの握りになっている。恐らく、仕込み杖のような武器。
「Rさん、あれを。」
姫の視線を辿る。スロープを上り切った所。コンクリートの床に人型の影が焼き付いていた。
大きさから見て、かなり体格の良い男の影に見える。落ちていた武器の持ち主だとすれば。

 『残り2人の内1人だ。』

低く太い声が辺りに響いた。この声と気配。あの、最強の式。御影。
『本家からの分離にあわせて、分家の長が雇い入れた術者たちの、最後の生き残り。』
「別系統の術者だと言うことですか?」
『そうだ、一族の血に連なっていないから、血縁相克にもならない。遠慮無く始末できた。
ただし、結界の中にいるのは間違いなく分家の術者。後はお前たちの仕事、心してあたれ。』
床に焼き付いていた男の影は見る間に薄れ、御影の気配も消えた。
遍さんの話の通りなら、この結界の中に御影は入れない。
何かの影に潜んで気配を消し、術者が結界から出るタイミングを待っていたのだろう。
結界の強固さから見て、かなりの力を持った術者だし、それなりの警戒もしていた筈。
なのに仕込み杖の刃を操作するだけで精一杯。文字通り一瞬の出来事だったということだ。

152 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:04:43 ID:OWZkMMAw0
 「残った術者はあと1人ということですね。Rさん、行きましょう。」
俺の左手を握る姫の右手に力がこもった。2人、施設の入り口に歩を進める。
自動ドアは反応しなかった。施設内の様子から見ても、おそらく自家発電装置は動いていない。
大きな自動ドアから少し離れた場所にある夜間出入り用のドア。
本来オートロックだろうが、それでは御影が始末した術者も不便だったろう。
ドアノブに手をかけて引くと、すんなりとドアは開いた。やはりオートロックに細工がしてある。
俺が先にドアをくぐり、姫が続く。問題なく結界の中に入った。
分家の血を引く者でなければ、この結界の中には入れない。
結界を張った術者は、当主様が姫を派遣するとは予想していなかったのだろう。
そして姫の他にも俺が、分家の血を引く術者がもう1人いるということも。
姫は迷うことなくロビーを抜け、先に立って非常階段に向かった。
まるで郊外のショッピングモールで買い物をする時のような、軽やかな足取り。
姫にはもう分かっている。最後の術者の居場所。
重なった意識を通して、俺にもその部屋が見えていた。3階、廊下の突き当たり。306号室。

153 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:05:44 ID:OWZkMMAw0
 「少し、焦げ臭いですね。」 「はい、火の気は無いみたいですが。」
その部屋のドアの前まで来ると、中の術者の気配が普通ではないことも分かった。
それは確固たる存在と言うよりも、ボンヤリとした雰囲気のような気配。
強い妄執に囚われていながら、人の形を保っていない。
生きた人間の気配がこんな風に拡散しているのを感じるのは初めてだ。
正直、不安もある。しかし、このドアを開けなければ仕事は始まらない。
1つ深呼吸をして、ドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。

 ドアを開けると同時に、激しい憎悪が漏れだしてきた。
かまわずドアをくぐる。始めに俺、次に姫。
黒い霧のような、靄のようなモノが部屋の奥に蟠り、視界を遮っている。
それは飛び回る無数の小さな虫。ショウジョウバエよりもずっと小さな、黒い虫の群れ。
その羽音が重なって、低い唸り声のように聞こえた。いや、これは。

『・・・すこしで、もう少しで、奴らを滅ぼすことができたのに・・・』
『・・・あの、霊剣を持った男さえ現れなければ、契約通り■◆は・・・』
『・・・の命と引き替えに、何としてもKの仇を、復讐を・・・』

 部屋の奥に蟠る生きた黒い靄の中に、呪詛の声が重なり合う。凝り固まった憎悪。
姫の眼を見る。姫は優しく微笑んで、しっかりと頷いた。よし、深呼吸。

154 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:10:06 ID:OWZkMMAw0
 『憎い敵の術者がこの部屋に入った事にも気付かないとは呆れたな。
闇に魂を侵食され、感覚までも奪われたか。』
沈黙。
その直後、黒い靄は凝縮し、部屋の奥の様子が見えた。
窓際に置かれたベッド。その上に横たわる人物は、
焦げた布の切れ端と夥しい数のガーゼで体中を覆われていた。
わずかに見える皮膚は、まるでミイラのように乾涸らびている。
点滴や栄養補給をしている様子はない。本当に、この状態で生きているのか?
凝縮した黒い靄は、横たわる人物の胸の上でゆらゆらと蠢いている。まるで黒い炎。そして。
人物の左手、紫色に変色した薬指だけが、乾涸らびることなく元の状態を保っていた。
間違いない。この人物こそ、最後の術者だ。

155 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:14:21 ID:OWZkMMAw0
 『本家の術者か。私を始末しに来たのだろう。さっさとやるが良い。
ただし、私たちの憎しみは消えることなく、いつか必ず本家を滅ぼす。忘れるな。』
部屋の中に低い声が響いた。術者の胸の上、黒い炎が発する声。
姫がベッドの脇に歩み寄る。俺も姫の横に立った。
『私はL、憶えているでしょう?あなたに聞きたいことがあって、此処に来ました。』
『L。あの時の、娘か...言って見ろ、今更隠すことなど何もない。』
『本家と分家の争い、先に手を出したのは分家の方です。
なのに何故、本家を恨み、滅ぼそうとするのですか?』
姫の声は強い言霊を宿していた。その言葉はきっと男の心に届いている筈だ。
『確かに、先に手を出したのは分家。しかし、そう仕向けたのは本家だ。
当主と『上』は卑劣な分断工作で分家を弱体化させ、滅ぼそうとした。
黙って滅びる選択肢などない。私たちは生き残るために、戦うしかなかった。』
姫は目を伏せて小さく溜息をついた。

156 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:16:42 ID:OWZkMMAw0
 『仲間から何を吹き込まれてきたのか知らないが、本家は分断工作などしていない。
お前たちのやり方や考え方に嫌気がさして分家を離脱した者を保護しただけだ。
それも本人が希望した場合だけ。力を持たない者の命を代償にして外法を使い、
力を持つ者を生み出すなんて、そんな考えが分家の全員に支持される訳がない。
だからお前たちは分家の中でも孤立した。その左手、薬指の契約にも耐えられたなら、
お前も相当な力を持っていた筈だ。だが、その力が誰かの命を代償にして
与えられたものだとしても、お前は何も感じないのか?』
『力を持つ者を生み出すためには、それなりの犠牲は必要。当然だろう。』
『だから親を殺して子供を拉致しても良い。拉致した子供に術を仕込んで代にしても良い。
随分と手前勝手な話だな。お前、誰に育てられた?両親の記憶はあるか?
お前自身が拉致された可能性もあるぞ、『あの人』が、Kがそうだったように。』
『Kが、拉致された?出鱈目を言うな。Kを殺したのは貴様たちだろう。
酷い拷問をして代の在処を聞き出し、そのあとで殺した。そんな奴らの言うことなど』

157 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:18:53 ID:OWZkMMAw0
 『黙れ。』
腹の底から湧き上がる激しい怒り、しかし俺の声は自分でも驚くほど冷たかった。
『あの人を生かしたまま捕らえるほどの力を持った術者が本家にいたなら、
お前たちはとうに殲滅されていた。それに、お前はあの人の最後を誰から聞いたんだ?
そいつはあの人が拷問され、殺されるのを黙って見届けた後、対策班の手を逃がれたのか?
幾ら何でも不自然過ぎる。良く考えろ、おかしいとは思わないのか?』
『じゃあ誰がKを。それにあの術の代は、絶対に見つからない方法で隠してあったのに。』
『あの人は外法を使う非を悟り、自ら代を持ち出してLさんの術を解いたんだ。
だからそれを知った仲間に襲われた。左胸に大きな深い傷があって、酷い出血だったよ。
間違いなく刃物傷。あれ程の力を持っていた人があんな傷を負うなんて。
どんな武器が使われたのか、心当たりが有るんじゃないのか?』
ふと、施設の入り口近くに落ちていた仕込み杖を思い出した。
その先端に仕込まれた鋭利な刃。あれなら、もしかして。
『貴様こそ、あの場所にはいなかった筈だ。何故、Kの最後を知ってる?』

158 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:21:04 ID:OWZkMMAw0
 男の声の調子が変わっていた。
俺の心に浮かんだ映像、あの人の胸の傷と仕込み杖。
間違いない。姫の力がそれらの映像を男の心に伝えた、だから。
『死の際に、あの人がRさんに会いに来たんです。本当に凄い術でした。
あの人はRさんを心から愛していたから、最後はRさんの腕の中で...
とても穏やかで美しい死顔。自分の不幸も、自分を不幸にした人も、全てを許して。』
あの人の最後の微笑み、一筋の涙。その映像も、この男の心に伝わっているだろう。
『...私は、騙されていた、という事か。』
『いいえ、あなたを騙していたのはあなた自身です。心の隅の疑問を、敢えて無視してた。
薄々は気付いていたのに、それを認めるのが怖かったから。』
『その通り、だな。物心付いてからずっと、本家は敵だと信じていた。憎んで、戦うだけの日々。
それは間違っていないと信じることしか、本家の人間を憎むことしか、私には出来なかった。
自分には生きている意味が無いと、認めたくなかった。
そうやって自分を誤魔化し続けて、挙げ句の果てはこの有り様。
自ら動くことも、死ぬことすらも出来ぬ、生ける屍。
Kに両親がいない、その記憶すらない。それも知っていた。もしその理由を調べていれば、
Kの拉致のことも分かった筈だし、Kには別の道を用意出来たかも知れない。
だが、怖かった。Kを失いたく無かった。本当に、私は馬鹿だった。』

159 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:22:33 ID:OWZkMMAw0
 そうか、この男はあの人を愛していたのだ。
だからこそ、対策班があの人を拷問して惨殺したという話の嘘を見抜けなかった。
そして、結局は自らの魂と引き替えに、何の救いもない計画を進めてしまった。
本家を、滅び行く自分たちの道連れにする。それが『復讐』だと信じて。
『生きる意味は、誰かに与えられるものじゃない。自分で見つけるものだ。
本家と分家の争いを完全に終わらせるために、俺たちは此処に来た。
当主様は外法を使っていない者の罪を問わず、望むなら本家への復帰を認めると仰ってる。
外法に手を染めた者で、残ったのはお前1人。その薬指、『不幸の輪廻』との通路を
封じることが出来れば全てが終わる。そのためにはお前の力が必要だ、分かるだろう?』
男の胸の上、黒い炎は薄れ、次第にその輪郭を失いつつあった。
『長く続いた争いを終わらせ、皆が一族に復帰する役に立つのなら、
私の命にも少しは意味があったということだ。』
男の乾涸らびた顔に表情は読み取れない。しかし、確かに男は笑っていた。
『まともに話を聞いてくれてホッとしたよ。俺たちの言葉が届くかどうか、正直自信が無かった。』
『『誰に育てられた?』と聞かれた時、お前の話を聞くべきだと分かった。
私は祖父母に育てられたが、父と母の記憶は全く無いんだ。』

160 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:24:14 ID:OWZkMMAw0
 祖父母に育てられたのなら、拉致、とは言えないかも知れない。
しかし、恐らくこの男も、長い争いの最中に生まれ、否応なく争いに巻き込まれた被害者。
『今更記憶を辿ろうとも思わないし、罪を逃れようとも思わない。全て、私自身の犯した罪。
有り難い御言葉と御心遣いに感謝すると、当主様に伝えて欲しい。
闇に侵食され、異形に成り果てた私の命で良いの、なら、喜んで...」
部屋の中に冷気が満ちていく。この感覚、迷わず短剣を抜いた。
男の左手、薬指が小さく震えている。何かが通路を使って。
『作り出した術者も、雇い入れた術者も、遂に滅びた。』
違う、先程までの声ではない。嗄れた、呟くような声。
『我が力と知恵の限りを尽くしてなお、一族の運命を変えることは出来なんだ。
しかも、我らが血に繋がる者が幕を引くとは皮肉な事よ。これも、あの女の、描いた筋書きか。
●明が遺言、しかと当主に伝えよ。術者を軽んずれば、早晩一族の命運は尽きる。忘れるな。』
これ以上、聞く必要は無い。一刻も早く通路を封じないと『不幸の輪廻』が。
男の左手を押さえ、薬指の付け根に短剣の刃をあてた。力を込める、硬く乾いた感触。
切り離された薬指は炎に包まれ、灰も残さずに燃え尽きた。

161 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:26:08 ID:OWZkMMAw0
 「Rさん、少し離れて下さい。」 姫が俺の真横に立っていた。3歩下がって距離を取る。
金具に皮紐を通して胸にかけた宝玉を姫は両手で捧げ持った。額の前、右掌の上に宝玉。
『青き・・・の・・・・て恵み給え、降らせ・・・清らなる・・・・祓い・・・』
宝玉の色が透き通った深い青に変わった。ボンヤリとした光を放っている。
そして。
ポツリ。水滴が俺の肩に落ちた。部屋の中に、無数の水滴が降り注ぐ。
雨、だ。
コンクリートの天井で空から仕切られている部屋の中に、雨が、降っている。
「Rさん、濡れますよ。一旦部屋の外へ。」
姫に促されるまま、開けたままのドアを2人でくぐった。廊下には雨が降っていない。
振り向くと、部屋は不思議な明るさに満たされ、雨は勢いを増していた。
これは、まるで天泣。屋根の下に降る天気雨。

162 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:27:14 ID:OWZkMMAw0
 ふと見ると、男の体の厚みが半分程になっていた。
雨が降り続くにつれ、その厚みはさらに減っていく。
そして、着物の燃え残りやガーゼの色が白く変わっていくのが、遠くから見ていても判る。
どのくらい降り続いただろうか。既に床を濡らした水は部屋の外にも流れ出してきていた。
突然、姫の胸で青く輝いていた宝玉が元の黒に戻った。雨は急激に勢いを弱めていく。
「Rさん、行きましょう。」 「はい。」 もう一度部屋の中に入り、ベッドに歩み寄った。
男の体は跡形もなく消えていた。
ベッドの上に残るガーゼや着物の切れ端は漂白されたように真っ白だ。
穢れを祓い、憎しみと哀しみを清らかな水に流す。それがこの宝玉の力。
そして分家の血に繋がる俺と姫がこの役目を担ったことで、遠い約束が果たされる。
つまり、もう分家は存在しない。

163 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:28:07 ID:OWZkMMAw0
 「Rさん、これ。Sさんに教えて貰った通りです。」
姫の指さしたガーゼが微かに動いていた。
そっとガーゼをめくる。 奇麗な、青い金魚。これは。
『もしもその魂が完全に侵食されているなら、相手の肉体は塵一つ残さず消滅する。
でも、もし侵食されていない部分があれば、宝玉はそれを水に関わる生物に再構成するの。』
青の宝玉の力と、その使い方を教えてくれた時、Sさんは俺たちにそう言った。
不思議な雨が降った後に残されたのは、可憐な青い金魚。つまり、そういうことだ。
姫は濡れたガーゼで金魚をそっと包み、ポケットから取り出した小さなビニール袋に入れた。
「これでお終いです。車に戻りましょう。早くペットボトルに移してあげないと。」
「お屋敷に戻る前に、小さな水槽を買わなきゃいけませんね。」

164 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:29:19 ID:OWZkMMAw0
 数日後。俺と姫はある場所を訪ねた。こぢんまりとした日本家屋。
俺たちを迎えてくれたのは、かなり高齢の老人。その男性が何歳なのか、見当も付かない。
「良く来て下さった。この日が来るのを、それこそ一日千秋の思いで待っていたのです。」
柔らかな声。老人が淹れてくれたお茶から、良い香りが漂っていた。
「あなたは、私たちと、それからKさんにも縁のある方だと、当主様から伺ったのですが。」
「はい。あなたがRさん、そしてこちらのお嬢さんがLさんですね。
私にとってRさんは曾姪孫、LさんとKさんは曾孫ということになります。」
では、この老人は姫とあの人の曾祖父。だが俺にとっては。
「曾孫はひまごのことですね。でも曾姪孫という言葉は初めて聞きました。」
「Rさんの曾祖母は私の姉です。父の指示で、私は家の中から、姉は家の外から、
外法に手を染めた者たちを孤立させるために活動していました。ただ私たちの力が及ばず、
LさんとKさんには辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳なく思っています。
特にKさんには何と...」 老人の目に涙が浮かんでいた。
「何故、外法を使おうという意見が通り、一族から離脱することになったのでしょうか?
それがなければ、このように長く無益な争いは避けられた筈なのに。」
姫の口調は穏やかだったが、その声から深い悲しみが伝わってくる。
この争いが姫から父親を、そして10年以上の子供らしい日常を奪った。
『何故?』という問いは、姫の心の奥底から発せられたものだったろう。

165 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:30:54 ID:OWZkMMAw0
 「一族からの離脱を決めたのは当時の長、私の叔父です。名は●明。」
●明、その名はあの時の。つまりあの声の主は分家を離脱させた男。
「一族の中でも一二を争う力を持った術者でしたが、偏狭な考えの男でした。
一族の意志を決める時には、術者の意見を最大限に重視すべきだと考えていましたから、
当主様とも、『上』とも意見が度々衝突し、年を取るにつれますます頑迷になりました。
また、あの男は離脱の数年前から一族以外の系統から強力な術者を呼び集め、
自分に対して反旗を翻す者が出てこないような、一種の恐怖政治の体制を築いていたのです。
取り敢えず●明の決定に従って一族を離れ、その死後に家系の方針を変えて一族に復帰する。
それが嫌なら、身一つで家系を離れ、経済的な基盤のほとんど無い状態で生きていく。
当時の私たちに残された道は、その2つだけでした。」
「では先々代の当主様と復帰の約束をしたというのは。」
「私の父です。●明の死後、父は様々な手段を講じて家系の方針を変えていきました。
長い時間がかかりましたが、外法に手を染めた者たちを孤立させることに成功しました。
本当に、あと一息という所だったんです。Kさんが拉致されたのは。」
老人は言葉を切り、深く溜息をついた。
「追い詰められれば反撃に出るかも知れない。それは予想していました。
しかしまさか同じ家系の者に手をかけて、力を持つ子を拉致するなどとは...。
Kさんの奪回を何度か試みましたが、いずれも失敗。
私たちは数人の術者を失い、大きな犠牲を払う結果になりました。
その後は同じような事が起こらぬよう、残った者たちの身を護るのが精一杯で。」
老人の言葉には、深い後悔と悲しみが込められていた。

166 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:31:47 ID:OWZkMMAw0
 「今にして思えば、娘夫婦と相談をして孫を、
つまりLさんの母を当主様に託して本当に良かったと思います。
あれ程の力を持った子を奴らに奪われたとしたら、
この家系だけでなく、一族全体の運命を危うくすることになったのは間違いありません。」
まさにここ。俺がどうしても答えを得られなかった疑問が、これだ。
「あの」「でも」 俺と姫の声が全く同じタイミングで重なった。
姫が俺を見つめている。穏やかな笑顔、なら、これは俺の役目。
「はい、何でしょう?」 老人も俺を見つめていた。

167 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:34:00 ID:OWZkMMAw0
 「それ程の力を持った子供を、どうして分家は手放したんでしょうか?
分家から離れるだけならまだしも、本家の、しかも当主様に託すなんて。
分家の長が、それを黙って見過ごすとは、とても思えないのですが。」
「特に、問題にはなりませんでした。あの子は、鬼子だと思われていましたから。」
「鬼子?」 「そう、鬼子です。」 「それは、どういう、事でしょうか?」
「生まれつき、あの子の体には鱗がありました。右肩から背中、左腰から左の太腿にかけて。
母親の胎内で、重すぎる業の影響を受けると、体の一部が異形に変化した赤子が生まれる。
それが鬼子です。稀に、そういうことが起こることは知られていました。
大抵は業の重さに耐えられず、2歳になる前に亡くなる。それを避けるためには、
『分業』の術が必要です。業の一部を別人に分ける、極めて高度な術。
当時その術が使えるのは当主様と桃花の方様、そして●明の3人だけでしたから、
娘夫婦はその術を●明に依頼しました。
業を引き受ける訳ですから、引き受け手は術者でなければなりません。
娘夫婦は自分たちのどちらかで業を引き受けるつもりだったのです。
しかし、『分業』の術は成功率が低い上、業を引き受けた術者が無事に済む保証もありません。
当然●明はそれを断りました。鬼子を助けるために術者の命を犠牲には出来ないと。」
Sさんから聞いた話では、姫の母親は少なくとも21歳までは存命だった筈だ。
「Lさんの母上は、鬼子ではなかった。そういう、ことですね?」
「はい、鬼子の伝承とは異なり、あの子には一向に衰弱する様子が無かったんです。
それどころか、成長は、特に精神的な成長は眼を見張る程でした。
一歳になる頃には母親が歌って聞かせていた童謡を全て諳んじており、
二歳になる少し前には、既に、短い祝詞を幾つか詠唱することが出来ました。」
「諳んじたのではなく、詠唱出来たのですか?たった2歳で。本当に?」

168 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:35:24 ID:OWZkMMAw0
 姫が驚くのも無理は無い。本当に詠唱したというなら、その祝詞の効力を。
「はい。不用意に祝詞を詠唱するような子では無かったので問題は起こりませんでしたが。
それで私と娘夫婦は話し合い、あの子は鬼子ではないという結論に達したんです。
おそらく、自らその体の一部を異形に変えて、幼子の体には強すぎる力に耐えているのだと。
そんな伝承は聞いたこともない、しかし他には説明の方法が有りませんでした。
そして、その考えが正しければ、成長につれてあの子の力はますます強くなる。」
もし、そんな力を持っていることを分家の長に知られたら。だから姫の母親を当主様に。
「そこで、私は一計を案じました。●明の取り巻きの術者、その一人を通じて願い出たのです。
『鬼子である孫を本家の当主に託すことを許して欲しい』と。」
「でも、それが簡単に許されるなんて。」
「●明は『分業』の術を断った。それを利用したんです。
『娘夫婦は『分業』の術を断られたことをやはり恨んでいる。
どのみち助からぬ命なら、娘夫婦の願いを叶えることでその恨みを逸らせる。』

169 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:36:59 ID:OWZkMMAw0
 『もし当主が引き受けなければ恨みの対象が当主に上書きされる。
引き受けたとしても術の成功率は低い。失敗すればやはり恨みは当主に向かう。
最悪、術が成功しても、鬼子が普通の子に戻るだけ。痛くも痒くも無い。』
そう、取り巻きの術者に吹き込んでおきました。案の定、あっさり許可が降りましたよ。
もちろん●明があの子の状態を確認したいと言えば、最悪の事態になったでしょうね。
でも、そうはならないという確信が私にはありました。」
「それは何故、ですか?」
「●明は力を持たぬ普通の人間を蔑んでいました。
まして鬼子を気に掛ける事など、有るはずが無い。
あの男にとって、鬼子は普通の人間にすらなり損ねた、何の価値もない存在なのですから。」
老人は冷たい微笑みを浮かべた。その裏にあったのは皮肉ではなく、哀しみであったろう。
「あの子を当主様に託して3年後、私たちにもある噂が伝わってきました。
『本家に途方もない力を持つ術者が現れた。
それは僅か5歳の女の子で、しかも本家の当主が何処からか引き取った子。』と。」
「そんな噂が流れたら、貴方たちにも追及の手が。」
「いいえ、それは全く有りませんでした。●明はとても自尊心の強い男です。
私や娘夫婦を咎めれば、自分の失敗を認める事になる。それは許せない。
だから結局最後まで、私や娘夫婦には、嫌味の一つも言いませんでした。
勿論内心では怒り狂っていたと思いますし、それが結局はKさんやLさんの拉致に繋がった。
本当に申し訳有りませんが、あの時私たちには、それ以外の選択肢が無かったのです。

170 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:38:03 ID:OWZkMMAw0
 「それなら私の、お祖父様とお祖母様にも、お会いできるのでしょうか?」
老人は暫く姫を見つめ、それから眼を閉じた。ゆっくりと首を振る。
「娘夫婦は、Kさんを奪回しようとして犠牲になりました。
しかし娘夫婦には、きっと思い残すことは無かったと思います。
結果的には、あの時の選択がLさんと、そして一族への復帰に繋がったのですから。」
姫とあの人は又従姉妹、それなら2人が良く似ていたのは当然かも知れない。
あの人も、そして姫も、外法を使う者達にとって是非手に入れたい存在だった筈。
2人は拉致され、あの人の奪回は失敗したが、姫の奪回は成功した。
そして、あの人を奪回しようとして姫の祖父母は命を落とした。
因縁、といえばそれまでだが、何と過酷で不思議な運命なのだろう。
そして俺は、俺の曾祖母は。

171 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:38:50 ID:OWZkMMAw0
 「私の曾祖母は家を出て活動していたと仰いましたね。」
「はい、姉は父の知人の養女になり、同じように家系から離れた者たちを支援していました。
彼女の頑張りがなければ路頭に迷う者が少なくなかったでしょう。
父の顧客でもあった彼女の養父は裕福でしたが、それだけで出来ることではありません。
彼女は本当に良くやってくれたと思います。亡くなる数年前までは連絡を取っていましたよ。
彼女が体調を崩して入院してからは、それも難しくなってしまいましたけれど。」
曾祖母は早々に家を離れた、遍さんからそう聞いて以来、正直俺は負い目を感じていた。
しかし、曾祖母も必死に自分の役割を果たしていたのだ。いつか一族へ復帰するために。
今更のように、俺たちの近しい親族が辿った運命の数奇さを思う。
一族全体が時代の変化を乗り越えるためには、どうしても避け得ない争いだったのか。
争いが終わったことで、一族が再びまとまって新しい時代に向かうことができるなら、
この争いで犠牲になった数多の命も無駄ではなかったということだ。
そして、俺と姫の体の中には、犠牲になった人々と同じ血が流れている。
「その通りですよ。Rさん。」 え?今、俺は。そうか、この老人も。

172 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:41:33 ID:OWZkMMAw0
 「RさんとLさんは、私たちに残された希望です。
当主様の御慈悲によって、私たちの家系は一族への復帰を許されました。
これからは家を離れていた者たちも少しずつ戻ってくるでしょう。
しかし有力な術者の多くは世を去り、私たちの家系は以前の力を失いました。
もう、以前のような力を持つことはないかも知れません。でも、それで良いんです。
RさんとLさん、これ程優れた術者を生み出したのは、この家系の血。
それは間違いのない事実ですし、この家系の誉れとなるでしょう。
さて、話が長くなりましたが、私たちの家系が辿ってきた道はご理解頂けたと思います。
こんな、お願いが出来る立場でないのは重々承知していますが、
出来れば、これからも時々は、この年寄りに御二人のお顔を見せては頂けないでしょうか?」
姫は立ち上がり、ふわりとテーブルを回り込んだ。床に膝を付き、両手を老人の右手に添える。
「曾御祖父さま、今度は私とRさんの結婚記念に撮った写真を持って来て差し上げます。
その時は、お体に障らない範囲で、母や父、御祖父様や御祖母様の事、お聞かせ下さいね。」
「はい。はい、喜んで...」
南中の太陽を避けて鳴き止んでいたセミが、傾いた日差しの中、再び鳴き始めていた。

173 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:44:40 ID:OWZkMMAw0
 「それで、あなたはどう思ったの?何だか納得してないみたい。」
就寝前の一時、ソファで他愛もない話をしている内、何となくその話題になった。
Sさんは俺の左肩に頭を預けたまま、俺の左手に両手の指を絡めている。
『姫の母親は鬼子だと思われていたために、
すんなりと分家を離れて当主様にその身を託すことが出来た。』あの時老人はそう言った。
しかし、本当に鬼子は存在するのか。あるいは存在したことがあるのか。
強すぎる業の影響で体の一部が異形に変化して生まれた赤子、とても信じられない。
「納得していないというか、体の一部が異形に変化した赤子というのがちょっと。
その、例えば鱗だったら遺伝子異常が原因の先天的な症状かも知れないですよね?」
「そういう症状があるのも間違いないけれど。論より証拠ね、ちょっと待ってて。」
Sさんは立ち上がって机に向かった。一番下の引き出しを開けて何かを探している。
「はい、これよ。開けてみて。」
戻ってきたSさんが差し出したのは白木の小さな箱。一辺が5cmほどの立方体。
そっと蓋を取る。箱の底には濃紺の布、そしてその布の上に。これは。
鱗だ。真っ白な鱗がざっと十数枚。大きさは俺の親指の爪くらい。
真珠のような白地、微かに螺鈿のような虹色の光が見える。
形は菱形に近い。中央の筋状に盛り上がっている部分は結構尖っている。

174 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:45:59 ID:OWZkMMAw0
 「あの、これ触っても?」 「もちろん、どうぞ。」
鱗を一枚摘んでみる。魚の鱗とは全く違う。何よりもその質感。
かなり厚みがあり、硬く丈夫そうだ。灯りにかざすと光がボンヤリと透けて見える。
こんな鱗は見たことがない。ヘビやワニの鱗なら、こんな風に一枚ずつ分離しないだろう。
もちろん皮膚の異常によって生じたものとは到底思えない。これは、間違いなく鱗、だ。
「Sさん、もしかしてこれは。」
「ご名答、Lの母親の体から最後にはがれた鱗。彼女から譲り受けたの。」
「最後にはがれたって、それはどういう?」
「彼女から直接聞いた話よ。少し残念そうに話してくれたのを良く憶えてる。
鱗が初めてはがれたのは、彼女が引き取られて2年後。だから、4歳になった頃ね。
左太腿にあった鱗の一部がはがれて、はがれた痕はすぐに周りの皮膚と変わらなくなった。」
先天的な遺伝子の異常によるものなら、成長につれて症状が劇的に軽くなることはないだろう。
つまり、成長して体の抵抗力が強くなったから、異形に変化していた部分が
元に戻っていったということだろうか。それなら、本当に業の影響を受けて体の一部が。
「その後も彼女の成長につれて少しずつ鱗ははがれた。太腿から背中、そして肩へと。
彼女は鱗を嫌なものだと感じていなかったし、むしろ綺麗な鱗がはがれたのを残念がって、
はがれた鱗を大切に取ってあったの。これはその中の一部。12歳の誕生日前には、
一枚残らず鱗ははがれた。その時に起こった不思議なことも、彼女は教えてくれたわ。」
「不思議なことって?」 「話を聞くより、実際に感じた方が納得出来るでしょ?」

175 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:47:37 ID:OWZkMMAw0
 Sさんは左手の甲に鱗を二列にして並べた。まるで奇抜なアクセサリーのようだ。
「じゃ、右手をこっちに。目を閉じて、良いというまで開けちゃ駄目よ。」 「はい。」
Sさんの右手が俺の手首を取る。やがて指先が硬いものに触れた。
乾いた、さらさらした感触。この感覚は以前何処かで...あれは、何処だったろう。
「眼を開けて、どうだった?」 「この鱗、前にも一度触ったことがあるような気がします。」
「最後の鱗がはがれたのは彼女がお風呂に入っている時。
湯船の底から鱗を拾い集めていたら、彼女のすぐ前に龍が現れた。
白い、小さな龍。あなたも触ったことがある、あの龍。」
そうだ、あの時。以前、Sさんの術で俺は小さな白い龍を見て、そしてその鱗に触れた。
大きさはまるで違うが、この鱗はあの龍と関わりがあるものなのか。
「詳しくは話してくれなかったけれど、彼女はその龍と意志の疎通が出来たみたい。
彼女の鱗が全てはがれて一年後、龍はある領域で眠りについた。
私はこの鱗を譲り受けたから、これを媒にしてその領域と此処を一時的に繋ぐことが出来る。
でも、それだけ。意志の疎通も出来ないし、龍を起こしてその力を借りることもできない。」
「生まれながらにということなら、式とは違いますよね。護り神、なんですか?」
「式とは違うわね。龍が護り神として彼女の体に入り込んでいた可能性は有る。
他にも色々な解釈が出来るけれど、正解は彼女とあの龍しか知らない。
一族の歴史の中で、こんな事例は他に1つも記録に残っていないから。」
「これを、母親の形見としてLさんに渡していないのは何故ですか?」
姫がこの鱗に関わる話を知っていたなら、既に俺には話してくれていた筈だ。
「未だ迷ってるの。あの時私は、Lに渡す時までこれを預かるのだと思ったわ。
『いつかこれをLに渡して。』と言われると思ったのに、そうじゃなかった。
ただ『これをSにあげる。ずっと持ってて。』そう、言っただけ。その意味を、ずっと考えてる。」

176 ◆iF1EyBLnoU:2014/04/19(土) 11:48:31 ID:OWZkMMAw0
 Sさんは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「ねぇ、あなたが答えを教えてくれない?」 「へ?どうして僕が。」
「あなたが赤の宝玉を身につけて」 「駄目です、絶対に。」 「ケチ。」

『邂逅(下)』 了

一覧に戻る