卯の花腐し(結)

84『卯の花腐し(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/05/09(木) 23:17:18 ID:dAcosai.0
 翌々日の日曜日、俺たちは榊さんからの電話であの男が死んだことを知らされた。
昨日は自ら望んで丸一日供述を続けたが、今朝、独房の中で冷たくなっていたという。
そして、男の供述通りの場所から、二人目の被害者の遺体も見つかったことも。
「絶対に許せない罪だけど、最後にその重さを自覚したのだからまだ救いがある。
たとえ地獄で過ごす途方もなく永い時間の果ての、蜘蛛の糸程の救いだとしても。
R君、手伝って頂戴。タイミングを計りかねていたけど、あの男が死んだなら今日が潮時。」

85『卯の花腐し(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/05/09(木) 23:18:20 ID:dAcosai.0
 図書室の中のドアの向こう、畳張りの広い和室。
その奥の板張りの部分に設えられた3つの小さな祭壇、それぞれに人型が祀られていた。
Sさんはそれぞれの祭壇の前で丁寧に鎮魂の儀式を行い、
人型を白い布で出来た小さな袋に納めていく。袋の口は赤い紐で閉じられた。
事故で亡くなった女の子が一人。娘を亡くして狂った男に殺された女の子が三人。
そして三人を殺した男の魂は生きながら悪霊となり、
自らの憎しみと呪詛が生み出す負荷に耐えられず、精魂尽き果てて死んだ。
もともとに悪意があって仕組まれた事件ではない。なのに失われた5つの命。
おそらく最初の事故がなければ、5つの命は失われなかった。
父親として、今回の一連の事件は他人事では無い。
姫と比べてSさんが笑うほど、俺は翠を溺愛しているからだ。
もし事故や病気で翠を失ったら、俺は狂わずにいられるだろうか。
勿論、俺が狂ったら、罪を犯す前にSさんは俺を殺してくれるだろう。
それが俺とあの男の違いで、俺は幸運だ。でも、確かな違いはそれだけ。
こんな悲しい事件が起きるのは、やはり人の心の弱さ故なのだろうか。
この世に鬼を生み出すのは人の心に宿る『業』だと、Sさんは言った。
そして俺はあの時の、『業からは逃れられない』という母の言葉を思い出した。
『業』とは一体何なのか、それは『不幸の輪廻』とどう関わっているのか。
Sさんの後ろ姿を見ながら、そんな事を考えていた。

86『卯の花腐し(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/05/09(木) 23:19:20 ID:dAcosai.0
 その日の午後。Sさんと俺は、雨の中半日かけて車を走らせた。
運転手は俺。Sさんは後部座席に座り、三方に乗せた3つの白い袋を護っている。
まずは隣の△県。最初の事件が起きた街へ向かう。Sさんの指示通り
閑静な住宅街の一角で車を停めた。一際大きな家が見える。
榊さんから聞いたのか、それとも女の子の記憶を辿ったのか、確かめる気にはならない。
女の子の家族にも、犯人が逮捕され事件が解決したことは伝えられているだろうか。
もし、大罪に自らの魂を蝕まれた犯人が事件の供述を残して死んだことを知ったら
女の子の家族は一体どう思うだろう。
Sさんはマセラティの後部座席に置いた大きな貝殻の中で最初の人型を焚き上げた。
「もし迷うと可哀相だから、出来るだけ帰る場所の方が良い。」 独り言のように呟く。
「迷ってしまうことも、あるんですか?」
「大人なら大丈夫だけど、子供だし。それに、事情にもよるから。」
珍しくSさんの歯切れが悪い。この件についてこれ以上の質問はNGだ。

87『卯の花腐し(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/05/09(木) 23:20:20 ID:dAcosai.0
 再び県境を越えてお屋敷に近い街に戻ってきた。雨足が強まっている。
Sさんは市内にある一軒の家を指示したが、その家に着くと思い直したように
その家から少し離れたアパートの駐車場を改めて指示した。二枚目の人型を焚き上げる。
「事件の起きた順番、なんですか?」
「そう、苦しんだ時間が長い子から、楽にしてあげるべきだから。」
Sさんの顔が、少しだけ翳ったように見えた。
最後の家、向かいの道路に停めた車の中で三枚目の人型を焚き上げる。
既に4時半を過ぎ、辺りは薄暗くなり始めていた。お屋敷に向けて車を走らせる。
Sさんは助手席に移り、黙って窓の外を眺めていた。
もうすぐ市街地を抜けるという時、俺は不思議なものに気が付いた。
前方50m程先の歩道あたり、そこだけまるで陽が差しているように明るい。
「Sさん、あれ。あそこだけ陽が差してます。」
前方に視線を移したSさんの顔が、一瞬で緊張した。小声で指示を出す。
「あそこで、車を停めて。」

88『卯の花腐し(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/05/09(木) 23:21:39 ID:dAcosai.0
 その場所まで進み、ウィンカーを出して路肩に車を停めた。花屋の看板が見える。
やはり、歩道のその一角だけが明るく照らされていた、そして。
子犬...
花屋の看板のすぐ脇で白い子犬が嬉しそうに尻尾を振っていた。
この雨の中、その毛並みは水を含んでおらず、
行き交う通行人は誰一人として不思議な明るさにも子犬にも頓着してはいない。
そうだ、この次の交差点は『○町南』。
Sさんはじっと窓の外の子犬を見つめる。俺も質問を飲み込んで子犬を見つめた。やがて。
子犬のすぐ前、地面近くに小さな白い両手が見えた。
一段と嬉しそうに尻尾を振る子犬を、その両手が優しく抱き上げる。
子犬が花屋の看板と同じ位の高さに持ち上げられた時、女の子の全身が見えた。
白地にピンクと黄色の水玉模様のTシャツ。紺色の半ズボン。青い靴。
笑顔で子犬に頬ずりをする女の子の姿が、一瞬強い光に包まれ、視界が白く遮られた。
視界が戻ってきた時、子犬を抱く女の子の姿は既になかった。
ただ、雨の夕方の薄暗い歩道を、幾つかの傘がすれ違うのが見えるだけだ。

89『卯の花腐し(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2013/05/09(木) 23:24:41 ID:dAcosai.0
 「二人目の、女の子だったんですね。あの子犬が待っていたのは。」
Tシャツの柄に見覚えがあった。あの時の、真空パックの中身だ。
榊さんが行方不明の女の子の親族から借りてきた、女の子のお気に入りのTシャツ。
「あの女の子は両親を亡くして親戚に引き取られたけど、そこにあの子の居場所はなかった。」
その子の失踪は親族の意向で公にされなかったと榊さんは言った。
そしてSさんは、あの家の前からアパートの駐車場に指示を出し直した。
それぞれの意味が俺の心に染み込んで来る。 寒い、俺の服は濡れていないのに。
「あの子にとっても、自分を慕ってくれる子犬は、とても大切な記憶だったのね。」
「あの子がここに現れると、分かっていたんですか?」
「いいえ。あのTシャツを見た時、子犬が待っている女の子は
二番目の被害者だと分かったけれど、まさかここに現れるとは思っていなかった。」
「『稀な霊質を持ち、人間の心との関わりがあった動物だけが幽霊になる』、そうでしたね。」
「そう。おそらくはたった一度、長くても数分。でも、それは本物の、心の触れ合いだった。」
Sさんはもう一度窓の外を見た。相変わらずの雨。
「『卯の花腐し』、そして『卯の花下し』、今は梅雨本番。
このところ本当に雨が多かった。この事件で流された沢山の涙に天が呼応していたのかしら。
早く、梅雨が明けたら良いわね。もう誰も、涙を流さずに済むように。」

『卯の花腐し(結)』 了

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